二〇〇三年三月三十日、私は、もう何度目になるかも判然としない深川通いの為に、都営大江戸線の門前仲町駅に降り立った。
 今日の目的は……“伊東甲子太郎好きの為の深川散策モデルコースを歩く”である。
門前仲町駅の案内板/佐賀1丁目に行くには3番出口から 伊東さんが好きだという方々には説明の必要もなかろうが、伊東道場は、深川佐賀町にあったと伝えられる。そして現在、伊東道場跡は東京都江東区の史跡として登録されており、佐賀一丁目十七番辺りとされている。
 門前仲町で降りたのは、江東区佐賀に到る地下鉄最寄駅がそこだったからであった。
 既に何度か訪れたことのある場所だけに、私は何の迷いもなく、佐賀一丁目十七番へと歩き出した。昔から私は、一度でも行ったことのある場所への道、特に自分の足で歩いた道は忘れないのだ。
 
 ……が、初めて訪れるという方の為に、此処で行き方など書いておこう。
永代2丁目歩道橋を渡る/道路横断しちゃ駄目だよ 駅は先程書いた通り、門前仲町。営団地下鉄東西線と都営大江戸線が停まる。どちらを使っても、出口は同じ。三番出口から出ると、目的地に最も近い。階段を上り切り、清澄通りと永代通りとが交わる交差点へ出たら、永代通りを永代橋(隅田川)方面へ歩く。……えっ。永代橋(隅田川)がどっちにあるかがわからない? では、三番出口から地上に出たらそのまま右手に真っすぐ進む、と思っていただければ間違いない──無論、出た場所でぐるぐる体の向きを変えなければ、の話だが。
 途中の道標としては、横断歩道橋でしか渡れない、信号のない道路がある。此処を渡れば、目的地は程近い。
 歩道橋を渡り終えて更に進むと、川(大島川西支川)と橋(福島橋)に行き当たる。此処で右に折れるのだが、橋を渡らず川沿いを歩いても良いし、橋を渡ってコンビニ手前の道に入っても良い。橋を越えても越えなくても、とにかく右に折れれば良い。どの道、目的の場所のすぐ近くにも、橋はあるので(笑)。
左手奥の浅葱色(?)の建物が「深川佐賀町ビル」 で、そこで進行方向左手側に見えてくる浅葱色(?)のビルが、目指す“佐賀一丁目十七番”に建っている「深川佐賀町ビル」である。……後は、殊更此処で書かなくても、辿り着ける筈
 
 私が此処を最初に訪れたのは、敬宮愛子様御誕生の日。あの時は道場跡訪問の為に自宅を出た時刻が丁度御誕生の時刻で、帰りに門前仲町駅で貰った号外でそうと知った時には「わあ、流石は勤王家の伊東先生!」と訳のわからん驚き方をさせてもらったものだ。無論、今日は、何でもない日時である。……おお。あの時に「おい、大丈夫かよ……」と危ぶむほどの川縁に建築中だったマンションが、きちんと建っているぞ。でもやっぱり川が増水したら流されそうで嫌だなあという位置にあることには変わりない。が、住みたいなあという気持ちがよぎってしまうのは、これはもう、お馬鹿ゆえ……だって、そのマンション、伊東道場跡の真向かいに建ってるんだもん(爆)。
ぐるっとビルの周囲を回ると小さな公園もあるが……通り抜けを躊躇させる雰囲気あり まあ、それはさて置き。
 件《くだん》の深川佐賀町ビルは、佐賀一丁目十七番地全体に建っている。ぐるっとビルの周囲を回ってみればわかるが、結構、広い。伝によれば、当時の伊東道場の規模は「小身の旗本並」だったそうだから、もしかしたら、このビルの敷地全体が伊東道場跡だったかもしれない。……もっとも、江東区の史跡リストを眺めていると、他にも、現在の佐賀一丁目十七番地にあったとされる史跡、干鰯場(爆)があるのだが……はてさて。
 残念ながら、今回の訪問では、近くの御船橋の上をほぼ全面占拠して下水道工事なんぞやっていたので、深川佐賀町ビル、橋の上のいい角度からの写真は撮れなかった。そこからだと、近付き過ぎす離れ過ぎずの好いショットが望めるのだけれど、仕方ない。またの機会に期待しよう。
 
 さて、此処まで来れば足を伸ばしてみたいのが、永代橋である。
 実は私、何度となく深川には来ているが、永代橋に足を向けたことはなかった。いつも通《かよ》っているのが白河地区で、しかも普段は目的地以外への寄り道を嫌う母と一緒なので、わざわざ足を向けることが出来なかったのだ。
 しかし、今回はひとりである。しかも、目的は、究極の“伊東甲子太郎好きの為の”お馬鹿歩きである。是非とも行かずばなるまい。
永代橋へ向かう道すがら、佐賀一丁目のバス停…… ……なに。道場跡にこだわるのはわかるが、何故、永代橋にこだわるのか?
 それは、永代橋が、ある特徴を具えていた橋だからである。
 物の本によれば、その昔、永代橋の一番高い場所からは、西に富士山、南に箱根山、北に筑波山を見はるかすことが出来たと言う。……そう。永代橋は、筑波山が見えた橋なのである。筑波山と言えば、言わずと知れた伊東さんの故郷の山。伊東さん、いや鈴木大蔵青年は、この橋を渡る時には、しばしば川上、つまり北の方《かた》を眺めていたのではないか……というのが、私の勝手な妄想なのだ。
 無論、現在の永代橋は、当時の木橋とは形も位置も異なる。が、橋の上から川上を眺めることは可能である。これが足を向けずにいらりょうか(笑)。
……で視線を右にやると、この看板があるのだ(^^;; そんなこんなで、永代通りへ戻り、てくてくと永代橋方面へ向かう。……おんや。佐賀一丁目のバス停脇に、なかなかになかなかなビルが。その名もズバリ「イトーピア永代ビル」……ぐるぐる辺りを回ってみて(回ったんかいっ、というツッコミはナシでひとつ[#ひとつ汗たらりマーク])、どうやら伊藤忠商事さんと関わりのあるらしいビルと判断。……ということは、藤の伊藤さんかー。惜しいなー(……何が?)。
 まあ、そういうお馬鹿はさて置き、永代橋。歩ける場所の中では一番高い位置だと思われる中間地点で立ち止まり、欄干に寄りかかって隅田川上流を眺める。……天気自体は好いのだが、元々空気が悪いのか、既に桜の季節だけに空気が霞んでいたのか、それとも上流の橋の位置がこちらから見て高過ぎるのか、悲しいことに予想通り、筑波山どころか遠くの建物すら、影も形も見えなかった(涙)。もっとも、そもそも、高い建物が間に色々と建ってしまった今の時代、たとえ空気が好くても見えるものかどうかは判然としないのだが。
永代橋の一番高い場所から隅田川上流を望む/上流の隅田川大橋が邪魔? しかし、かつては筑波山が見えたのよねー、此処から……という気分で、しばし写真を撮りまくる私。川下を眺めて写真を撮る人は存外沢山いたけれど、川下の好景には目もくれずひたすら川上ばかり見て写真を撮っていた馬鹿は、かなり長い時間粘った筈ながら、遂に私だけだった(苦笑)。
 
 永代橋を後にした私が次に向かったのは、前日にウェブで所在地と蔵書とを調べておいた、深川図書館であった。
 ……モデルコースを歩くなら、次に向かうべきは、白河の深川江戸資料館である。が、全く私的な用件から、今回私は此処へ立ち寄ることを決めていた。前々から気になっていた書籍、江東区が出している或る本が、果たして私が(つまり、伊東甲子太郎好きが)購入するに値するものかどうか、実際の中身を確かめたかったのだ。だから、実際に拙文を参考に他の皆様が散策する時には、此処は立ち寄り無用の場所である……いや、私が見た本を見たいというのであれば、止めはしないが(笑)。
……何故左三つ巴?/後日、近くにある富岡八幡宮でこの紋を発見し、謎が解けた 永代橋から出発地点(門前仲町駅三番出口出た所)へ戻り、そこから今度は、清澄通りを左手側(交番側)へ曲がり、ガード下をくぐってひたすら直進。……歩くことしか考えていないので、交通機関は知らない(おい[#ひとつ汗たらりマーク])が、道々にバス停はあったので、多分バスでも移動出来るだろう。が、次に深川江戸資料館へ向かうだけであれば、門前仲町駅まで戻ったところで迷わず都営大江戸線に乗り、次の清澄白河駅で下車すると良い。お急ぎの方は、そちらを利用されたし。
 が、きっと伊東さんもうろうろしたであろう深川を歩いているというだけで楽しい私は、ひたすら歩く。道中、繁みの中にひっそりと潜む小津安二郎監督生誕の地の案内板に気付き、松尾芭蕉(……の石像)が腰を下ろして休んでいる場所(仙台堀川に架かる海辺橋の手前、採茶庵《さいとあん》跡/芭蕉宗匠が『おくのほそ道』へ旅立ったのは此処から)に行き当たり、果ては「町角みちしるべ」に土方さんちのと同じ左三つ巴紋をあしらった風車(?)まで見付け……。交通機関でさっさと移動してしまう弊害のひとつは、こういった町角の面白いものを見落としてしまうという点だと思う。時間に余裕があるのであれば──公式案内によれば、門前仲町からは徒歩十五分で深川江戸資料館に着けるとのこと──是非歩いて移動してみてほしい。
 さて、話戻って、肝心の深川図書館。
これが深川図書館/ご、御立派…… そのまま真っすぐ歩き続ければ深川江戸資料館へ辿り着ける道すがら、清澄庭園の一隅にある……というので気楽に行ってみたら、ひょ、ひょえー、り、立派な建物だなあ……まさか、区内の他の図書館もこんなのかしらん……ま、まさかねー。
 とことこと中へ入り、案内図を見る。……ふんふん、歴史関係は二階だな。探しているのは『江東区の文化財 ─史跡─』という本。江東区教育委員会生涯学習部生涯学習課文化財係(……長いので、以下「文化財係」とのみ記す)のサイトでの紹介文によれば、昭和六十二年までに江東区の文化財として登録された史跡・名勝を集めて、解説紹介してある書籍だそうである。無論、私のお目当ては、伊東道場跡についての記載。伊東道場跡が史跡として登録されたのは一九八六年……昭和六十一年なので、載っているとしたら間違いなくこれである。ウェブ情報では「開架」となっていた書籍、問題なく探せる……
 ……筈なのだが、幾らそれらしき分野の書架一帯を目を皿のようにして探しても、見当たらない。念の為に館内の検索システムで探すも、やはり「開架」。本に付けられていた固有記番号で探してみたら……あれ? 書架の番号、そこだけ飛んでる?
 うーん、この後は深川江戸資料館に行くんだし、此処で時間を取られちゃなあ……という訳で、何でも自力で探したがる私にしては珍しく、職員の方に本の在り処を訊いてみた。……はい? 一般書架じゃなくて、入室に許可の要る郷土資料室にある本? あうう、それなら最初からそうと検索システムに載せておいておくれよ……という文句は、係のお姉さんの応対がとても親切だったので、けろりと忘れてしまった。……現金なものである。
 
 しかーし。
 安心するのは、とっても早かった。
 京の都で私を散々お振り回しあそばされた伊東先生の罠は、思わぬ所に仕掛けられていたのであった。



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