改めまして、こんばんは、野間です。
昨夜の『龍馬伝』は、見ていて流石に憤りにも似た激情を覚え、且つ、呆れました。
此処で、ぶちまけたくなってしまったほど。
歴史物での大抵の虚構には寛容な私ですが、流石にアレはないでしょう……
脇役なのは当たり前としても、新選組に対して何て適当な描き方をしてくれるんだ……と、感情がドラマの展開を拒否してしまいました。
以下、楽しんで御覧になっている方にとっては否定的感想のオンパレードで愉快ではないでしょうから、むっちゃ久々に折り畳みタグを使わせていただきます。
昨夜の回に対して私が抱いた憤りにも似た感情は、「ねこづらどき」様がほぼ言い尽くしてくれているので、リンクを張っておきます。
■ ねこづらどき:龍馬伝35 ~薩長同盟ぜよ~新選組にしても見回組にしても、正規の藩士相手に無闇に捜査権を振りかざす事は出来ませんでした。幕府は諸藩の頂点に立ってはいても、いわば大名達の盟主という立場であり、主人ではなかったのですからね。藩士を裁く事が出来るのはあくまで藩主だけでした。ですから、弥太郎が土佐藩士を名乗ったからには、それ以上の拘束は出来ないはずです。ましてや参政の名まで出しているのですからね、土佐藩と一戦交える覚悟が無い限り、弥太郎に危害を加える事など出来るはずもありません。
一番呆れ、且つ憤ったのは、岩崎弥太郎を巡るこのエピソードです。
歴とした土佐藩士を拷問? あり得ないでしょう!
明保野亭事件を御存じないのでしょうか、脚本家は。否、それ以上に、監修の方々は何を御覧になっていたんでしょう。
新選組はこんな無茶苦茶なことをする組織だというのが、『龍馬伝』の脚本家の認識であるわけですね。最初から期待はしていませんでしたが、此処まで来ると、ひど過ぎる。創作の手法としては「あり」かもしれませんが、感情として受け容れ難いです。
あんな怪しい恰好をして歩き回る者が土佐藩士であるわけがないという類の台詞でもあれば、また感じ方も違ったかもしれませんが、だとしても、土佐藩士だと名乗った以上、本当かどうかの確認ぐらいはするでしょう。明保野亭事件の悲劇を繰り返さない為にも。
弥太郎さんの出番を作りたいが為に新選組をテキトーな組織として描くのはやめてほしい。
見回組と新選組が何かと張り合っていたのは事実です。でもそれは初期の事で、この時期には役割分担も出来、こんな馬鹿げた小競り合いを起こすはずもありません。それにしても、6年前に新選組!を作ったNHKとも思えない偏見ぶりですね。新選組を、未だにただの殺人集団だと言い続ける神経が信じられない。それも見回組をして言わしめるとは、あまりにも酷い演出です。
この辺りは、新選組の立場を視聴者に“わかり易く”示すという創作手法として「は」納得も出来ますが、感情としては、「ねこづらどき」様に同感です。
さらに細かい話をすれば、屯所の門前に立番が居ないというのはあり得ない、正規の藩士を痛めつけるだけ痛めておいて、引き取り手もなくただ放り出す事などあり得ない、誰にも見とがめられる事無く屯所(この当時は西本願寺)周辺をうろつける事などあり得ない、不慣れな道を迷うことなく短時間で往復できるなどあり得ない。全ての点でリアリティはゼロです。
此処ではもう、呆れや憤りを通り越して、失笑したくなっていました。
どう考えてもそんなに簡単に短時間で屯所に辿り着けるわきゃねーだろ、大体門前に見張りがいないなんてあり得ねーだろ、成程なぁ、この脚本家の中では新選組の存在は所詮この程度のものでしかないんだなぁ、と……
=== 二重になっている箇所、此処まで ===
谷原さん演じる桂さん改め木戸さんがいますので、今後も見続けはしますが……
何と言いますか、改めて、どういう辺りで自分の許容範囲が急激に狭まるのか(換言すると、何処に逆鱗があるか)を認識させられた、昨夜の『龍馬伝』でした。
それでは、また。