「ですが、陛下こそ、単身で下町を歩かれるとは、王太子としては余り褒められないお振舞ではなかったかと」
「確かにな。だが、本当に我が身に危機が及ぶ事態と見れば、恐らく、何処かで見張っていたジャナドゥ達が手を出したことだろう。我が父は、我が不品行は或る程度まで黙許しても、きっちり監視は付けておったようだからな。まあ、そうだろうと半ば承知していたからこそ、色々と無茶も出来たのだ。幸い、ジャナドゥ達が割り込むような事態になることは、一度もなかったが」
ララドは少しの間、遠いものを見るような目を見せた。
「……だが、あの子供が、今はこの青年か。まだまだ若いつもりでいるが、いつの間にか年を取る筈だ」
「恐れ入ります」
ソフィアは軽く頭を下げた。
「あの時は結局、あの後暫く一緒に回っていただいたのに、お目当ての店を見付けられず仕舞でした。折角思い出したので、あの時の匂いを求めて、明日にでも下町に足を向けてみようと思います」
「ほう」
ララドは、何を思い付いたか、ニヤリと笑みを浮かべた。
「……面白い。あの日の続きか。わしも同行しよう。無論、お忍びでな」
翌日──
朝の練兵を終え、水浴びと着替えを済ませたタリー・リン・ロファは、近衛府の厩に自分の乗り馬を引き取りに来たところで、近衛副長であるノーマン・ティルムズ・ノーラから呼び止められた。
「おい、タリー。ナカラ隊長がお呼びだったぞ」
「隊長が? ……何だろう。何か聞いていらっしゃいますか」
「いや。単に、呼んでいると伝えてくれってな感じだった」
「そうですか……済みません副長、でしたら今日は、先に帰っていただけますか」
「おう。じゃ、また明日な」
特に訝ることもなく、ノーマンは手を挙げて去る。
残されたタリーは、小首をかしげて考え込んだ。如何に一等近衛とは言え、何の役にも就いていない自分が、何故、隊長から名指しで呼び出されるのか……色々考えてみるが、答の手掛かりが見付からない。
(……特に妙な失敗もしていない筈だし)
ままよ、とかぶりを振り、近衛隊長の執務室へ向けて歩き出す。
「おお、タリー一等近衛。呼び立てして済まなかったな」
ひとたび戦場へ出た時の勇猛果敢さから“猛将”と渾名《あだな》されるものの、部下達に対しては必要以上の厳しさを向けることのないナカラ・ソニ・マーラル近衛隊長は、“温和な紳士”とも評されている童顔の一等近衛兵が姿を見せると、執務机から離れて歩み寄ってきた。
「いや、急な話だが、陛下が、貴官をお召しだ」
「──陛下が!?」
「今すぐ私室の方へ参上するように、との御下命であった。なお、参上した先で見聞きすることは他言無用とのこと。無論、近衛隊長たる私に対しても、とのことだ」
全く予期していなかった展開に、さしものタリーも茫然となった。
「何故私などを陛下が……特段の役に就いているわけでもございませんのに……」
「……タリー。貴官は、仮にも一等近衛だぞ。このマーナで、一等近衛と呼ばれることを許されている人間が、一体どれだけいると思っておるのだ。他国ではいさ知らず、マーナ近衛隊で一等近衛に任じられるのは、掛値なし、隊内でも水準より遙かに腕の立つ者だけだ」
ナカラが苦笑混じりにたしなめる。この頃マーナで一等近衛に任じられていたのは、第一から第七までの各中隊の長を含めて十七名。過去に目を向けても、約七百名で編成される近衛隊全体の中で二十名を超えたことは一度もない。マーナ近衛隊に於いて、一等近衛兵への道は、それほど“狭き門”なのである。
「貴官はどうも、自分の力を過小評価して卑下する癖があるが、余りに度が過ぎると却って嫌みになるぞ」