「え、えーっと、あれはその、別に蹴飛ばそうと思ったわけではなく、人攫《ひとさら》いから逃げようとじたばたしてたら偶然に当たっただけで」
ソフィアは動揺から来た姿勢の崩れを素早く立て直し、ぺこりと頭を下げた。
「その節は、申し訳ありませんでした。まさか、陛下に助けていただいていたとは夢にも思わず。……はぁ、何だか今日は、さっきから謝ってばかりです」
「必要が生じれば適切に謝罪するのも、国を代表して他国へ使いする者の大事な役目の内だ。……そうか、あの時の生意気な子供が、そなたであったか」
ララドはニヤリと笑い、額冠を嵌め戻した。
「他人《ひと》のことは言えぬが、何ゆえ、使節に随行していた身で下町などに出ておった」
「あの、随行という大袈裟な立場ではなくて、おまけ扱いです。それこそ、胴名《どうな》も持たぬ子供ですから」
胴名とは、十歳の誕生日に付けられる名前である。ソフィア・カデラ・レグの場合、“カデラ”がそれに当たる。ミディアミルドでは、この胴名が付くまでは、結婚も出来ない子供と見做されるのである。
「で、あの時は、デラビダの町に入った折に、物凄く美味しそうな匂いを馬車の中から嗅ぎまして、それで、宿所に落ち着いた後、拝謁の為の登城の支度などで忙しい皆の目を盗んで、こっそりと抜け出したんです。何しろ小さな子供でしたから、抜け出しても見咎められにくかったようです。……まあ、その時の宿所が、客人の為の西の離れが大改装中とのことで使えずに、町中に置かれていたから出来たんだろうなと、今では思います。警備の厳重な城から見咎められずに抜け出すなんて、まず無理ですから」
現在のミディアミルドでは、他国からの使節など、王城を短期滞在の予定で訪れた客分の者は、王城の敷地内に建つ西の離れに宿泊するのが、何処の国でも通例である。
「着ているドージョの飾りは全部取って、いいところの子供だとわからないようにして……なんて子供なりに色々考えて外へ出たんですが、今考えれば、本当に浅はかでした。幾ら飾りがなくたって、見る者が見れば、下町に住む庶民が着るような布地のドージョではない。いいところの子供に違いない、身代金が取れるか、それとも他国に売り払えるか、と人攫い達が目を付けたのは当たり前ですよね」
ソフィアは苦笑した。夕闇迫る下町へ出て、お目当ての匂いをさせていた店を探している内に、親切めかした若者ふたりに人気のない路地裏に連れ込まれ、危うくそのまま拉致されそうになった。そこを助けてくれたのが、たまたま通りすがった“喧嘩の強いお兄さん”だったのだ。……ただ、乱闘の最中、人攫いの手から逃げ出そうとしたソフィアの蹴りが間違ってその助けてくれた“お兄さん”の額に入り、なまじ質のいい底を持つ靴だったばっかりに流血沙汰となったのは、不幸な事故ではあったが……。
「……人を疑うことを知らなそうな見目佳《みめよ》い子供が、他国訛りの強い、如何にも怪しげな大人ふたりと細い路地へ向かったのを見たから、これは危ないと後から入っていったまでのこと。……マーナの民が目の前で不埒者に踏みにじられようとしている、助けられるものなら助けてやりたいと、腐ってもマーナの王太子、つい義憤に駆られたものでな。……ただ、今更わかっても仕方ないが、助けてみればマーナの者ではなかったとはな」
「しかも暴れ回って額は蹴飛ばすわ、助けられたくせに変に生意気なことを言うわ……ですか」
ソフィアは若干恐縮したように首をすくめた。