「いえ、そちらは初めてではございません」
にこやかに、ソフィア青年は、かぶりを振る。
「私の父は外務府に所属しておりますので、使節として他国に派遣されたことも何度かございます。その父に連れられて、十一年前でしたか、マーナへ参ったことがございます」
「十一年前……随分と子供の頃ではないか」
「はい、七歳の春、確か、五の月だったと記憶しています。何しろ当時は、私が将来このような立場に置かれるとは誰ひとり予想だにしていませんでしたので、父が使節として外へ出る機会さえあれば、一緒に連れていかれました。親も当然の如く私が先々外務府に入るものと考えていたらしく、子供の内から見聞を広めておけという方針で」
ララドは、考え込んだ。この青年に何処かで会ったことがあるという気がしてならないのに思い出せないのは、相手がその時に、今の姿とは掛け離れた子供であったから、なのだろうか。レーナ使節に随行してきたということは、この王城で会ったのだろうが、記憶にない……
(──いや、待て)
(十一年前の春と言えば、まだ──)
そうだ。十一年前の自分は二十六歳、まだ王太子であった。父王も壮健で、それを良いことに、折々に王城を抜け出しては、身分を隠して都デラビダの下町を闊歩していた。おかげで周囲は、「何という不良王子か、他に太子となり得る男児がいないとはいえ……」と嘆き、頭を抱えていたものだ。
(十一年前……チャベラ十八年……仲春、五の月……レーナ使節……)
レーナから何やら使節が来ていたことは、流石にかすかに記憶にある。が、その時に催された宴には、不例と称して参加しなかった筈だ。実際には無論仮病で、下町に繰り出していたのではないか……
とん、と額の略冠に指をぶつけたララドは、不意に、その下に隠れている傷痕のことを思い出した。
いつもは、略冠である銀の飾り輪──これまた、古来、王位に在る者にのみ許されている装身具──に隠されてしまっている。だが、彼にとっては、数少ない不覚によって付けられた傷の痕である。もしそれが城内で負った傷であって、“治癒”の力《オーヴァ》を持つ薬師が直ちに手当をしていれば、傷痕は残らなかったであろう。ところが、生憎それは、下町へお忍びで出ていた時の傷だったものだから、城へ戻るまでは適切な手当を受けられず、為に、痕が残ることになってしまったのである。
勿論、今となってはわずかな変色が残るのみで、傍から見ても大した傷痕ではない。……ないのだが……
ララドは、目の前の青年の顔を、何かをその向こうに透かし見ようとするかのように目を細めて見据え、そして、ゆっくりと口を開いた。
「……僕はまだ子供なんで、多少無茶苦茶な真似をしても、子供だから仕方ないなと大目に見てもらえます。それを利用しない手はないですから」
不意にマーナ王が呟いた言葉に、ソフィアは目を円くした。
「あれ……何だか、さっきの私の発言に似ています、それ」
「似ておるな」
マーナ王は低く応じた。
「だが、これは、このデラビダの下町で会った何処ぞの生意気な子供から言われたことがある台詞なのだ。……十一年前にな」
「十一年前に、陛下が……下町で?」
ソフィアは無躾にも、まじまじと相手の顔を見てしまった。
相手は、銀の額輪を無言で外し、やや長めになっている褐色の髪を手で後ろに束ねる。
ソフィアは──そこに現われたかすかな傷痕と、露わにされた顔の輪郭とを見て、一度だけまばたいた。
「……まさか、あの時の、喧嘩の強いお兄さん?」
「……まさか、あの時に、わしの額を思い切り蹴飛ばしおった、生意気な子供か?」