ソフィア・レグ青年は、周囲の面々が急に示した態度にわずかに面食らったが、自分も広間の方を振り返ってみて、彼らの態度の理由を知った。
「──そのままで良い。膝を折る必要はない」
そこには、機敏でありながら何処か悠然とした歩様でその場に歩み寄ってくる、マーナ王ララド・オーディルその人の姿があったのである。
「レーナの長老候補、ソフィア・レグと申したな。暫くそなたと話がしてみたい。良いか」
前置きも何もなく単刀直入に申し入れられて、ソフィア青年は流石に驚いた様子であったが、それでも、傍目には、怯んだり臆したりしたようには見えなかった。動揺の色という点で見れば、先程ケーデル・フェグラムに対して見せたものの方が明らかに大きかった。
「はい、陛下がお望みとあらば」
「では来い。──ノーマン、デフィラ。宴の締めの舞踏で、デラクロア・ガダリカナを演奏させる。レーナをはじめとした他国の使節達に、そなた達のガダリカナを見せてやれ」
「──はっ」
「かしこまりました」
命じられた二名が、右掌の手指を揃えて左肩下鎖骨辺りに当てる“武人の礼”で応じると、ララドは満足そうに頷き、「では、長老候補ソフィア」と促しつつ身を翻した。裏地に金糸が織り込まれたマイルコープ──何処《いずこ》の国でも、王位に在る者の証のひとつ──が、ふわりと踊った。
場に残された面々は、期せずして殆ど同時に息をついた。
「……陛下も、かの青年の醸し出す非凡さにお目を留《と》められていた、ということか」
ケーデル青年が半ば独り言のように呟く。
「それとも……」
「レーナは、マーナにとっては、いつ敵対してもおかしくない国。その国の将来の一端を担うかもしれぬ若者の為人《ひととなり》を知っておきたいと陛下がお考えになったとしても、至極当然だろう」
「レーナとは昨年、軍事拠点のノーパを一時占領されるという一件もありましたしね。まあ、その時の和睦でディープレ殿下がレーナ王に嫁がれてからは、こうして使節を迎え入れられる程度に平穏を保っていますが」
デフィラとタリーの遣り取りに、ケーデルは更に低く独りごつ。
「……あのノーパ占領の一件は、和睦など申し出ずとも簡単に引っくり返せたのだが、今更言っても詮ないか……あの時、私に、閣議に出席出来るだけの地位と権限があればな……そろそろ、さりげなく出しゃばって主席将軍の作戦に口を挟み、強引にでも実績を作る時期が来つつあるのか……」
「何を小声でごちゃごちゃ吐かしてやがる。言いたいことがあるなら大声で言え、この青二才」
ノーマンが突っ掛かったところへ、「お待たせしました」と若干尖り気味の声がして、暫く場を離れていたケーデルの侍者アルが戻ってきた。
捧げ持つようにして運ばれてきた“食べ物”の大皿が卓上に置かれた、その瞬間──
ノーマンばかりでなく、誰もが絶句した。
その大皿の中では、赤辛子の粉で真っ赤に覆われた物体が、どろっとした濃い緑色の液体に、山盛りになるほど大量に沈められていたのである。液体のそちこちには、ぶよぶよっとした半透明の赤い物体も浮いており、その気味の悪さと来たら、半端ではなかった。
「……な、何だこれは」
「家鴨《あひる》と川魚の唐揚げでございます。臭みを消すのに赤辛子の粉を塗《まぶ》してあるとのことでございます」
「塗すなんて可愛いもんかこれがっ。地が見えんほど赤辛子ぶっ掛かってるじゃないかっ。それに何なんだ、この気味の悪い緑色の汁はっ」
「マデヒド汁《じる》でございます。赤いのは、マデヒドの目玉」
「げっ……」
毒こそ持たぬが攻撃的なことで知られる蛇の名を耳にして、流石にノーマンも顔を引き攣らせる。