「ノーマン坊やにも、今日のことは内緒?」
「はい。そのように願います。……勘定は私が払いますので、精算宜しくお願いします」
「今度来た時でいいよ。坊やに付けておくから。余り待たせちゃ悪いだろ。さ、気にしないで」
「重ね重ね、有難うございます」
タリーは素直に頭を下げた。こんな時のドリーの申し出は、本当はきちんと払ってもらいたいけれど儀礼で言っている……という本音と乖離《かいり》した言葉ではなく、真実そう思ってくれている時の言葉であると、承知していたから。
「また、近い内に、今度は副長と参りますので」
待ってるよ、と応じる相手に背を向けて、タリーは、出入口付近で待つララド達の所へ戻った。
店から出ると、冬の午後の陽射しが街路の石畳に柔らかく降り注いでいた。
「……来て、良かったなぁ……」
城へ戻る為の道を歩きながら、レーナの若き長老候補ソフィアが、しみじみとした口調で呟く。タリーは、その隣に歩を進め、穏やかに声を掛けた。
「良かったですね、若先生。十一年越しの宿題が解けて」
「有難うございます。先生とタリーさんが付いてきてくださったおかげです」
ソフィアは、心底から嬉しそうな笑みを、満面に湛えた。
「勿論、十一年間ずうっと思い続けてきたわけではないですから、忘れていた宿題ですけれど、それでも、思い掛けず果たす機会を貰えて、何というか……本当に幸せです」
「わしも、なかなか楽しませてもらった。……それにしても、好い店であったな。客も皆、気分良く過ごしておるようであった。我がマーナの民が生き生きと暮らしておる姿をこの目で確《しか》と目の当たりに出来るのは、嬉しいものだ」
「……私は、明日の朝にはこの町を発たなくちゃならないけど、またいつか、機会があったら、この“月光亭”に来たいです。出来れば、今回、このマーナで知り合った皆さんと一緒に」
ソフィアは、半ば夢見るように呟いた。
……無論、その為には、マーナとレーナの関係が恒久的に平穏であり続けなければならない。
そして、この混迷《ダニュア》の戦国時代、それが極めて難しいであろうことは、この場にいる三人には、よくわかっている。
けれども、誰も、そのことには触れなかった。
よくわかっているからこそ、敢えて言葉にする必要は、なかった。
翌日、マーナ第一王女ルディーナの婚礼を祝して訪れていた各国からの使節達は、マーナ王ララド・オーディルとの謁見を経て後、相次いでデラビダを離れた。
レーナの若き長老候補、ソフィア・レグも、恙なく、帰国の途に就いた。
実質滞在日数わずか三日の間に、マーナ国内の様々な人物に、様々な印象と思いとを残して。