翌朝、サラ=フィンクとミルシェは遺跡を後にした。
 サラ=フィンクは、部屋に居る時からずっと砂色の外套を纏い、フードを深く被《かぶ》ったままであった。ミルシェは流石に変に思ったが、尋ねるのも何となく無躾なように思えて、何も言わなかった。
 だが、日の光の下《もと》で歩き始めて程なく、ミルシェは異常に気付いた。前を行くサラ=フィンクの足許が、昨日とは打って変わった頼りなさを露呈していたのだ。ともするとふらつきがちになり、まるで昨日のミルシェ自身のようである。
「ねえ、大丈夫?」
 とうとう彼女はサラ=フィンクの横に回って声を掛けた。フードに隠れた横顔を見上げる。歩みにつれ動くフードの奥で、大丈夫だと答えるくぐもった呟きがあった。そう、と一旦は引き下がった彼女だったが、遂に彼の膝が崩れかけた時、走り寄って支えながらその顔を覗き込んだ。
「――サラ=フィンク!?」
 ミルシェは悲鳴に近い声を上げ、相手のフードを撥ねのけた。砂漠の陽射しに射られた相手の顔が歪む。――ギョッとするほどに窶れていた。何年間も患った果ての顔だと言われても信じただろう。それほど酷い窶れようであった。漆黒の瞳には辛うじて生気が窺えたが、それ以外は殆ど死者の顔と見えた。
「どう――どうしたの――昨晩《きのう》、何か、何かあったの?」
 サラ=フィンクは乱暴にフードを被り直すと、ミルシェの手を払いのけた。また歩き始める。ミルシェは急いで追った。
「ねえってば――」
「余計な詮索をするな」
 そっけない返事だった。ミルシェは怒りを覚えた。こちらの訊くことには碌に答も呉れぬ。そのくせ、こちらには、頭ごなしに「何々するな」! 今朝だって「この遺跡のことは他人に喋るな。喋れば殺す。誓いを立てろ」だ。何の説明もなしに!!
「あたしはねえ!」
「喚いてないで来い。はぐれたら、殺されても知らんぞ」
 サラ=フィンクが喉をぜいぜい[#「ぜいぜい」に傍点]言わせながら発した警告に、ミルシェは何とか怒りを殺して従った。
 幸い、目指す集落は、それほど遺跡から遠くはなかった。岩がちになっている一帯に、その岩を切り出して建てたらしい四角い家々が、まるで風景に溶け込むようにひと塊になり、或いは、点在していた。
 集落の中には、もう随分と日が高いというのに、人影がなかった。ミルシェはそのことを妙だとは感じたが、黙ってサラ=フィンクに付いていった。サラ=フィンクは、心なしかまともにはなっているがまだ覚束ない足取りで道を選び、辿っていた。どうやら、集落の奥の方へ向かっているようだ。ミルシェはふと辺りを見回した。その目に、家々の窓からこっそりと彼女たちを窺っている影があるのが、ちらほらと映った。
 やがて、サラ=フィンクは足を止めた。集落の広場から程近い所に建っている、一軒の、余り大きくない家の前であった。
「――おばば! 俺だ、今着いた!」
 彼は、生成りの布が下げてあるだけの戸口の向こうへ呼ばわりながら、その布を押して中へ入っていった。入る時にミルシェを顧み、目で「付いてこい」と合図する。ミルシェは躊躇《ためら》ったが、結局付いて入った。
 中は薄暗かった。目が慣れないまま、サラ=フィンクの後ろに付いて短い廊下を歩き、一室へと辿り着く。さっきと同じように入口の布を押して入ると、さあっと爽やかな空気が彼女を迎えた。外の炎天が嘘のような涼風であった。
 然して広くない部屋の中央には、円卓が置かれていた。そしてその向こうに、誰かが、入口と向かい合うようにして腰掛けていた。ミルシェはようやく薄暗さに慣れてきた目を凝らし、しばたいた。
 座していたのは、年齢の確《しか》と知れないひとりの老婆であった。白髪《はくはつ》を包む色模様鮮やかな布が、まずは目に飛び込む。しかし、皺の谷の奥から彼女をじっと見つめる瞳の灰色は、それ以上に、彼女の意識に焼き付いた。
「よう来たな。外界からの訪問者を見るのは七十年ぶりじゃ。砂漠を歩くのはつらかったろう」
 意外に張りのある声で、老婆は彼女に話し掛けてきた。普段サラ=フィンクが彼女に使うのと同じ、共通語《コモン》である。
「うんにゃ、それよりも、この無愛想者の相手の方がつらかったやもしれぬな」
 ふおっふおっと笑う老婆を、サラ=フィンクはフード越しにムッとしたような目で見遣った。
「おばば! 馬鹿なことを言ってる暇があったら、こいつに湯を使わせてやってくれ」
「とうの昔に沸いておるわ。知らせがあったからの。お嬢さんや、先に使うと良いぞ。なに、今この家には誰も寄り付きはせぬ。覗き見る不届きな輩なぞおらぬ故、安心して入るが良い。着替は置いてある」
「は、はい、有難う、ええっと……」
「おばばで構わん。殆どの者はそう呼んでおる」
 老婆はニコリと笑ってゆっくりと立ち上がり、しっかりした足取りでミルシェを案内していった。
 サラ=フィンクは、砂色の外套は着たままで、背中の荷物を下ろした。カーテン越しに射し込む日の光の届かぬ位置まで行き、手近な椅子に崩れるように座り込む。全身にずっしりと疲労が伸し掛かっていた。まだ息が整っていなかった。彼は俯くと、努めて肩を上下させぬように、静かに喘いだ。これほどの疲れを覚えたことは、近年なかった。あるとすれば、それはあの忌まわしい少年の頃……
「サラ=フィンクよ。フードを取ってみせい」
 不意に、一般魔道語《ジェネラル》が耳を叩く。いつ戻ってきたのか、老婆の声であった。サラ=フィンクは少し躊躇したが、大人しくフードに両手を掛けて後ろに落とし、顔を上げた。
 老婆は、灰色の瞳で彼の顔を凝視した。
 ややあって――
 老婆はボソリと尋ねた。
「昨夜、何があった。話してみい」
 サラ=フィンクは下を向き、やはり大人しく相手の求めに応じた。昨夜、悪夢に苛まれて幾度も目を覚ましたこと。そして、目を覚ます都度、精神的にも肉体的にもどんどん疲れが増し、明け方にはまともに歩けぬほどの体に成り果ててしまったこと。だが、肝心の悪夢の内容の方は、全く何も思い出せぬこと……。
「本当に何も思い出せぬのか?」
「思い出せない……ただ……」
「ただ、何じゃ」
「……レラス、アレラス、アリアドス……」
 囁くように呟いて、サラ=フィンクは身震いした。
「……その三語だけが、頭にこびり付いて離れない」
 老婆の目が、すうと細められた。
「お主の剣を抜いてみせい、サラ=フィンク」
 サラ=フィンクは顔を上げ、たじろいだような色を見せた。老婆は重ねて促す。
「案ずるな。何も起こらぬ。早う見せてみい」
 サラ=フィンクは腰から魔剣を外すと、それでもやはり恐る恐る、その柄《つか》に手を掛けた。
 瞬間、表情が変わる。
「――!?」
 愕然として引き抜いた刀身を目にした途端、彼は悲鳴にも似た呻き声を上げていた。
「そんな――馬鹿な―― 一昨日の晩に飽きるほど血を吸った筈なのに――」
 魔剣は、全く輝きを失っていた。刃《やいば》は曇り果て、只の鉄屑同然と言っても差し支えなかった。
「……承知しておろうが、レラス・アレラス・アリアドスとは、魔世界の王レラサドスの真《まこと》の名じゃ」
 一夜にしてなまくら[#「なまくら」に傍点]と化してしまった魔剣を手に震えるサラ=フィンクの耳に、老婆の静かな声が突き刺さる。
「お主も、お主の剣も、かれ[#「かれ」に傍点]に力を奪われたと見える。しかし……」
 そこで老婆は考え込むような目をした。
「解《げ》せぬ。かれ[#「かれ」に傍点]の方から“扉”を開いて手を出してくるとは考えにくいが……あの腐れ魔道士《ソーサラー》の仕業ならともかく……」
「――セルリは死んだんだ」
 サラ=フィンクは、震え掠れる声で遮った。
「あの人[#「あの人」に傍点]は――あの男[#「あの男」に傍点]はもう居ない。殺されたんだ」
「わかっておる。……元の手紙を読むには、もっと紙片が必要よな。原因を突き止めるには情報が足りぬわ」
 破られた手紙は紙片が揃わなければ読めない――昔から言われる言葉である。サラ=フィンクは息をついて魔剣を鞘に納め、膝の上に置いた。そこへ、髪を下ろし、砂漠の一族の女性の衣服を着て、ミルシェが戻ってきた。老婆はサラ=フィンクにも湯を使うように言った。
「タクラの葉を入れて沸かしてある。少しは楽になろう」
「済まん」
 サラ=フィンクが至極素直に頷いて立ち上がるのを、ミルシェは驚いて見つめた。日頃の狷介さが嘘のようだ。
 老婆は二マリと笑った。
「なに、この男はわしの前では子供じゃよ」
 その言葉を聞いて居心地悪げに身じろぎ睨んできたサラ=フィンクに、老婆は少しも応えぬ顔を向けた。
「本当のことではないか。……早う行け。剣は置いてな」
 サラ=フィンクは、鞘ごと握っていた自分の魔剣にチラリと目を落とした。
「やめておけ。今はお主も極度に消耗しておる。……あれ[#「あれ」に傍点]をする気でおったのじゃろうが、今やれば共倒れが落ちじゃぞ」
 老婆の声は、穏やかながら、否み難い力を持っていた。サラ=フィンクは小さく息をつき、剣を荷物の脇に残して部屋を出ていった。
 サラ=フィンクが行ってしまうと、それまであれこれ訊きたさにもじもじしていたミルシェは、早速老婆に向かって矢継ぎ早に問を発した。此処は何処なのか、何故サラ=フィンクが此処へ来たのか、そしてサラ=フィンクと老婆は一体どういう関係なのか、等々……老婆は微笑むと、骨張った皺だらけの右手を軽く上げて、彼女の問い掛けを押し止《とど》めた。
「答えられる問もあれば、答えられぬ問もある。サラ=フィンクは何も話しておらぬのじゃな」
「こっちの質問なんか殆ど無視なんだもん」
 ミルシェはプッと膨れた。
「あたしには『あれするな、これするな』って、理由も教えてくれないで頭ごなしに命令するくせに」
「お主は命令されることには慣れておるまいからの」
 やんわりと老婆は応じた。
「え?」
「ケルリの王女よ、これからもあの者の側《そば》に居ようと思うならば、あの男の“命令”には慣れねばならぬ。理由を語れぬ訳があるからこそ、あの者は“命令”せねばならぬのじゃ」
 ミルシェ――ミルシリア・エル・カーリーはドキリとなった。
「あ、あの、あたし……」
「別に誰から聞いたわけでもない」
 老婆は穏やかにかぶりを振った。
「ただ、わしにはわかる[#「わかる」に傍点]。それだけじゃ」
「……」
「安心せい。我らには、外界の王国の興亡なぞ無縁じゃ。それはあの者も同じこと――もしあの者が気付いておるとしてもな」
 ミルシェは下を向いた。否定する気を失わせるようなものが、老婆の声の中にはあった。
 老婆は、ひと息ついてから話を続ける。
「まず、此処が何処かということじゃ。半ば察してもおろうが、お主ら外界の人間が“砂漠の蛮族”と呼んでおる者たちの集落よ。外来の者を入れることの、本来許されぬ地――よって、侵入者は必ず抹殺される」
 ひっく、とミルシェの喉が鳴る。老婆はニヤリと笑った。
「したが、お主は幸運よ。サラ=フィンクと共におったからの。サラ=フィンクなればこそ、お主を伴って此処へ来ることが出来たのじゃ」
「どうして?」
「あの者が我らにとって特別な存在だからじゃよ。わしにはそうとしか言えぬ。……さて、これで既にふたつの問に答えた」
「えっ? ――あ、そうか」
 ミルシェは一瞬置いて理解した。此処が何処であるかという第一の問に対する答の中に、第二の問への答が確かに存在していた。
 何故、サラ=フィンクが此処へ来たのか――それは、彼が「外来の者」ではなかったからなのだ。そして、彼が「特別な存在」でもあり、本来ならば即座に抹殺されて然るべき「外来の者」であるミルシェを連れてきても咎められずに済む人間だったからなのだ。
「じゃあ、おばばさんと……サラ=フィンクとは?」
「さあてな。それにはちと答えられぬ」
 老婆は肩を竦めた。
「我らには色々と守らねばらぬ事共があるでな。外来者は知らぬが良い。もし仮に知るを許されたとしても、その者は沈黙の誓いを為さねばならぬ。そして、万が一にもその誓いを破れば、我らが制裁による死が待つのみなのじゃ」
「あの遺跡……」
 言いかけて、ミルシェは慌てて口を押さえた。
 老婆の目がキラリと光る。
「口にせぬことじゃ。……ともあれ、わしから教えられるのは、このくらいじゃよ。砂漠の中ゆえ宮廷のようにはゆかぬが、昼食が用意してある。あの無愛想者も程なく戻ろうほどに」

 湯と食事のおかげで、サラ=フィンクの顔にもようやく生気が戻ったようであった。終始むっつりと黙りこくり、相変わらずどころか普段に輪を掛けて愛想がなかったが、それでもミルシェはその顔色が随分と良くなっているのを認め、安堵を覚えていた。
「サラ=フィンクよ。わざわざこの砂漠を越えるとは、何処へ行く気じゃ」
 昼食を終えると、老婆が尋ねた。今は砂漠の男性の普段着に着替えているサラ=フィンクは、白磁の取り皿を脇に押し遣った。布で口を拭いながら、ちらりとミルシェを見、それから老婆に目を当てる。
「ルーファラだ」
「ほう、“魔道王国”か」
 老婆は目を細めた。
「砂漠越えで、その後はスタールの都レイリーまで、なるべく街道を離れて進む。そこで少し休んで、それからルーファラへ向かうつもりだ」
「街道を避けるのは、剣のせいか」
「……ああ」
「成程な。このお嬢さんとは、長いのか」
 サラ=フィンクは、ほんの少し眉を上げた。
「何故そんなことを訊く、おばば」
「なに、お主ひとりなら街道を通《とお》っていたじゃろうからな。お主はそういう男よ」
 しらっとした顔で宣う老婆に、サラ=フィンクは舌打ちしそうになった。この老婆と来たら、サラ=フィンク以上にサラ=フィンクのことをよく知っているのだ。……もっとも、この老婆と相対《あいたい》する者が大抵そういう気分を味わわされることも、彼は承知していた。
「じゃが、お主は街道を選ばなんだ。このお嬢さんとどうして知り合うたかはともかく、それだけの気を遣ってやれる程度には長く一緒におるのじゃろうと思うたまでよ。したが、意外じゃったぞ、サラ=フィンク。お主が他人と一緒に旅が出来るようになるとは、このおばばでさえ思うてはおらなんだわい」
 俺は迷惑している――と口にしそうになるのを呑み込んで、サラ=フィンクは席を立った。当のミルシェの前でそんなことを言えば、少なからず傷付けてしまうだろう。彼は自分の剣と荷物とを取り上げると、自分に宛がわれた部屋へ引っ込もうとした。
「待てい、サラ=フィンク」
 不意に、老婆が呼び止める。
「お主の剣を、抜いてみせい」
「え?」
「このお嬢さんに見せておくが良い、お主の剣の今の姿[#「今の姿」に傍点]を」
 聞くなり、サラ=フィンクは顔を強張らせた。
「馬鹿な! どうしてそんなことをしなきゃならん!?」
「お主はこのお嬢さんを連れて歩いてゆくつもりなんじゃろ。しかし、どうせお主のこと、その剣についても碌に話しておるまい」
「あ――当たり前だ! この剣の忌まわしさは知ってるだろう!!」
「わかっておるわ。お主がルーファラへ行く目的もな。じゃが、このお嬢さんまで巻き込むなら、それ相応に真実も知らせておくべきじゃろう?」
「俺はこいつを巻き込んだりはしないぞ!」
 サラ=フィンクは自分でも戸惑うほどにカッとなって言い返した。
「だから何も教えぬ、か? しかしサラ=フィンク、望む望まざるに拘らず、このお嬢さんは巻き込まれよう。お主と一緒に歩いておるというだけでな」
 老婆の目がつと厳しくなった。
「仮に面倒を恐れてこのお嬢さんと別れたとしても同じことじゃ。お主と一緒に歩いておったというだけで、もう、このお嬢さんは、お主の抱えておるものに巻き込まれるに充分なのじゃ」
「俺が連れて歩いたわけじゃない! こいつが勝手に俺に――」
 ついそんな風に言いかけ、サラ=フィンクは口を噤んだ。ミルシェの方に走らせた目を、慌てて逸らす。
「……くそっ、わかってるよ! 俺はこいつと歩くことを現に拒んでもいないし、俺の方から追い払うつもりもない、こいつが付いてきたい限りは勝手にさせる気でいるさ!」
「ならば、教えてやれ。何もわからず巻き込まれる方の身にもなってみい。お主、卑怯者と呼ばれたいか? 付いてくるのを黙認しておるなら、連れて歩いておると同じことじゃぞ」
 老婆は容赦ない口調で続けた。
「本当にこのお嬢さんを気遣うならば、お主は最初から付いてこさせるべきではなかった。じゃが、それは最早言うても詮ない。となれば、次に採るべき道は、話せる限りのことを話して、降り掛かるやもしれぬ危険を教えておくことであろうが。それも出来んで如何《いかん》する。何があってもこのお嬢さんを護れると言い切れるか? 言い切れぬ筈じゃ。ならば、せめて教えてやれ。このお嬢さんは、お主が考えておるよりもずっとしっかりした娘じゃ。お主の教えるべきことを受け止めるだけの毅さは持っておる」
「……おばば、だけどこれは……」
「抜いてみせい!」
 ぴしりと叱咤され、サラ=フィンクは唇を噛んで荷物を床に下ろした。柄に手を掛け、鯉口を切る。老婆をチラリと見、そして、意を決したように鞘を払う――。
 現われた魔剣の刀身を、ミルシェは、息を呑んで見つめた。
 違う!
 いつか見たあの蠱《まじ》が、微塵も窺えない。見るからに切れ味が悪そうな、一体これがあれと同じ剣かと疑いたくなるような、鈍い輝き。
「……お嬢さんや、よく覚えておくが良い。これが、この呪われた剣が長い間人の血を吸わぬ時の姿じゃ。人の血を吸わぬと、この剣は遂にはこのようななまくら[#「なまくら」に傍点]になってしまう運命にあるのじゃ」
 老婆の穏やかな声が告げる言葉の意味を悟り、ミルシェはハッとなった。
『ブリザードは血に飢えるから』
 単なる比喩ではなかったのだ。掛値なしの真実。
「……だから、この男は人を殺す。勿論、殺される方は堪ったものではない。したが、最早この男は無間地獄に囚われてしもうた。抜け出したいと思うても容易には抜け出せぬ無間地獄にの。この男がルーファラ、彼《か》の“魔道王国”へ行こうとするのは、そこでなら、この呪わしい剣を救い、己が無間地獄から抜け出す手立てが見付かるやもしれぬと考えたからよ。違うか、サラ=フィンク」
「……違わない」
 青ざめた顔で頷くサラ=フィンクを、老婆はじっと見つめた。
「しかし、“魔道王国”とて何ほどのものがあろう。古のダランバース王国の魔道《ソーサラーマジック》に比べれば、児戯に等しいわ。下手にその魔剣を持ち込めば、却って愚かな考えを彼《か》の地の魔道士どもに抱《いだ》かせ、第二第三のセルリ・ファートラムを生み出すが落ちじゃ。それでもルーファラへ行くか?」
「……他に俺に何が出来る!?」
 サラ=フィンクは呻いた。
「ブリザードは俺の半身だ、捨てることは出来ん――だけどこのままにしておけば、こいつは永遠に呪われたままだ、そして俺も!」
 彼は、音高く魔剣を鞘に納めた。そして、床の荷物を鷲掴みにすると、足音も荒く部屋を出ていった。



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