土方歳三
《ひじかた としぞう》が白石
《しろいし》を経
《へ》て仙台に入ったのは、八月も末であった。
白石へ到着した折に、榎本武揚
《えのもと たけあき》が艦隊を率
《ひき》いて仙台入りしたとの噂
《うわさ》を耳にし、それならばと即座に仙台へ向かったのである。
負傷などの事情から先に仙台入りしていた安富才助
《やすとみ さいすけ》ら九名の隊士や、いち早く仙台へ送っておいた少年隊士達とは、沢忠助
《さわ ちゅうすけ》が連絡を取ってくれた。歳三は彼らと無事の合流を果たすと、再会を喜び合う間
《ま》も惜しんで、武揚らが宿にしていると聞き込んだ“外人屋”という宿を国分町
《こくぶんちょう》に訪
《たず》ねた。
武揚は、ひどく喜んで出迎えてくれた。文字通り抱き付かんばかりであったが、和蘭
《オランダ》式だか西洋式だかのその挨拶
《あいさつ》だけは勘弁してほしいと、歳三は苦笑いで拒
《こば》んだ。
江戸を出て以来の情報を互いに交換し、現状を把握する。
「会津
《あいづ》が危殆
《きたい》の秋
《とき》を迎えていることは、仙台にも伝わっています。まず間違いなく、列藩同盟
《れっぱんどうめい》の諸藩
《しょはん》が連合しての援兵
《えんぺい》を送ることになるのでは、と見ています」
「それは、いつのことに?」
「来月早々にも、軍議が持たれる予定です」
間に合うのだろうか、と歳三は感じた。自分が会津を離れる日、既
《すで》に敵軍は城下に雪崩
《なだ》れ込んでいた。多分、兵は城に籠
《こ》もって抗戦を続けているだろうが、そう長く保
《も》つとは思えない。……何より、新選組など旧幕軍の将兵は、城には入
《はい》れなかった。無論、あの大鳥圭介
《おおとり けいすけ》ならば、求めて全滅の愚
《ぐ》を犯すような用兵はすまい。が、それでも、城に拠
《よ》らずして、長々と保
《も》ち堪
《こた》えられるかどうか……
「一日も早くと逸
《はや》るお気持ちはわかりますが、大勢
《おおぜい》が集まると、意思決定にも時を要するのですよ。小なりと言えど、各藩を代表して来ている者ばかりですから。これでも、早い方です。我々の艦隊が大挙
《たいきょ》して入港したことも、新政府軍とやら何するものぞという機運に繋
《つな》がっていますしね」
「……そこが問題だと思うのですが」
歳三が呟
《つぶや》くと、武揚は怪訝
《けげん》な顔をした。
「問題? 我々の訪
《おとず》れがですか?」
「あ、いや、意思決定に時を要してしまうというところがです」
歳三は微苦笑した。
「いざ援軍を出すとなった場合でも、各藩の兵が事ある毎
《ごと》に一々国元の意向を仰いでいるようでは、迅速な行動は望めない。……誰が全軍に対する責任を持って采配
《さいはい》するのかが不明なままで戦うのでは、会津での様々な戦
《いくさ》の二の舞となるは必定
《ひつじょう》。諸藩の連合で援軍を派
《は》すのであれば、誰の命
《めい》で動くか、誰が生殺与奪
《せいさつよだつ》の権
《けん》を持つかを最初から厳
《げん》にし、指揮官の号令一下
《ごうれいいっか》で素早く用兵が適
《かな》うようにしておかねば、勝利は覚束
《おぼつか》ない。それぞれの藩の兵が好き勝手に動いては、まともな戦になりません」
「ごもっともです。──是非、その辺りは徹底させてください」
「……え?」
させましょう、ではなく、させてください、とはどういうことかと訝
《いぶか》った目に、武揚の若干
《じゃっかん》すましたような笑みが映
《えい》じた。
「土方さん、私はあなたを、連合軍の総督
《そうとく》に推
《お》しますよ。──いや、実は誰を総督に就
《つ》ければ良いかと頭を悩ませていたのですよ、あなたが来てくれるまでは。何しろ、我々は海軍です。陸軍のことには、海軍のことほどには通じていない。海軍の者が上に立っても、陸の戦では恐らく物の役には立たず、結果、各藩の兵から侮
《あなど》られることになるでしょう。しかし、あなたなら、諸藩を納得させ得
《う》るだけの実績を持っていて、しかも、何処
《どこ》の藩に対してもしがらみ
[#「しがらみ」に傍点]を持たない。最も適任です」
そう言われてみればそうかもしれない、と歳三は思った。勿論
《もちろん》、“他所者
《よそもの》”ということで反発されるおそれ
[#「おそれ」に傍点]は拭
《ぬぐ》えないが、逆に、“他所者”だからこそ受け入れられる余地もあると言えるのだ。何となれば、近隣
《きんりん》諸藩が寄り集まれば、なまじ境
《さかい》を接しているだけに、何処の藩の者が指揮権を握って上に立つかで牽制
《けんせい》し合ったり反目
《はんもく》したりすることもあり得る。だが、全くの外部から“然
《しか》るべき実績”のある者を連れてきて据えれば、何処の藩も立場は同じということになり、却
《かえ》って揉
《も》めずに済むかもしれないからである。
そういった会談の後
《のち》、武揚の強い勧めもあって、歳三達は“外人屋”へ移ることにした。隊士達が先
《せん》から宿泊している宿に泊まるからと一旦
《いったん》は断わったのだが、隊士達も一緒に移れば済むと事もなげに返され、更
《さら》には、江戸から来た我々は「藩を誤らせる」と一部の過激藩士達に狙われているから余り分散しない方が良いとも言われてしまうと、受け入れざるを得なかった。
「我らが藩論を誤らせるとは、何とも無体
《むたい》な言い条
《じょう》ですね」
負傷隊士や少年隊士達を連れて移ってきた安富才助の言葉には、苦笑が漂っていた。
「自分達にとって都合
《つごう》の悪い事柄は、皆、新たに外から来た者が持ち込んだのだと、外来の者のせいにする。その方が楽ではありましょうが……」
「君も存外、手厳しいな」
歳三は小さく笑った。日頃
《ひごろ》は控えめで余り尖
《とが》った発言をしない才助であるが、色々と腹の膨
《ふく》れることもあるらしい。
「怪我人
《けがにん》や子供の世話には手を焼いたか」
「いえ、新選組の隊士には、然様
《さよう》な不心得者
《ふこころえもの》はおりません。むしろ迷惑を掛けまいとしてくれる者の方が多いので、そのように気を遣
《つか》わずとも良いのにと、却って申し訳ないほどです。……まあ、我々に対する他所者扱いは仙台藩に限ったことではありませんから、淡々と受け流しておけば済みます。対価を払ってとはいえ、厄介
《やっかい》を掛けていることは確かですし」
それだけ、お家
《いえ》大事の者が多いということなのでしょう、と言い残して、才助は歳三の前から辞
《じ》した。
月が改まって間もない九月の三日に、歳三は、武揚に伴
《ともな》われて仙台城へ登城
《とじょう》した。
青葉山
《あおばやま》に築
《きず》かれた平山城
《ひらやまじろ》で、古くから“青葉城”と雅称
《がしょう》されている、伊達氏
《だてし》代々の居城
《きょじょう》である。
「この軍議で、会津へ出兵と決する筈
《はず》。そうすれば、土方さんを総督に推します。然るべき時に、場にお呼びしますよ」
軍議の場に歳三を最初から座らせておこうという気は、武揚にはないようであった。後から颯爽
《さっそう》と登場する方が、皆に与える印象は大きくなりますからね、と正面切って言われては、歳三も苦笑を返すしかなかった。
「それはそうかもしれませんが……」
「無躾ながら、御髪
《おぐし》も束
《たば》ねず、下ろしておいた方が良いでしょう」
少々伸びてしまった髪を、歳三は、邪魔にならぬようにと首の後ろで束
《たば》ねていた。それを、「ほどいた方が良い」と武揚は言う。
「余りきっちりとし過ぎるよりは、些少
《さしょう》の荒さを窺
《うかが》わせる方が好もしいかと。将帥
《しょうすい》としては、線が細く神経質に見えては、侮
《あなど》る者も出ましょう」
「……はあ」
「今だから白状しますが、江戸へ向かう艦
《ふね》の上で土方さんが髪をほどかれた時、正直、はっと心を動かされてしまった。断ち落としてしまうのが勿体
《もったい》ないと感じたほどでしたよ。折角の豊かな黒髪です、後ろに隠すより、生かしませんか。こう申せば身も蓋
《ふた》もないが、衆
《しゅう》に優
《すぐ》れた容姿も、存外役に立つものですよ」
あっけらかんとした口調
《くちょう》で言われると、妙な思惑
《おもわく》があるのではないかと身構える気も起こらない。成程そうかもしれないな、と素直に思えてしまう。勧められた通りに組緒
《くみお》をほどき、漆
《うるし》の黒髪を後ろに流し放つと、武揚はにこにこと嬉しそうに笑った。
「やはり、そちらの方が似合います。幾多
《いくた》の戦場を経巡
《へめぐ》った将という野趣
《やしゅ》が窺えて、それでいて粗野
《そや》な感じではない。剛毅
《ごうき》さが好もしく出てきて見えますよ。──後程お呼びしますので、此処
《ここ》でお待ちください」
……ただ待つだけ、という状態は、どうにも手持ちぶさたなものである。何となく間
《ま》を保
《も》たせたい気分に駆られて、歳三は、供
《とも》として付いてきていた安富才助に頼み、髪の乱れがひどい箇所
《かしょ》を直してもらうことにした。
「榎本殿の仰
《おお》せの通りに野趣を重んじるとすれば……余り綺麗
《きれい》に整え過ぎない方が宜
《よろ》しいでしょうか」
「そうだな……君に任せる。いいと思うようにしてくれ」
応じつつ、隣室に意識を向ける。軍議は恙
《つつが》なく始まった模様であった。断片的ながら洩
《も》れ聞こえてくる声を聞くともなく聞いている限りでは、会津へ援軍を送ることに反対する者はいないらしく、荒れた雰囲気
《ふんいき》は伝わってこない。どうやら、話は円滑
《えんかつ》に進んでいるようだ。
やがて、歳三は隣室へ招
《しょう》じ入れられた。
列藩同盟の諸藩から藩を代表して集まっている藩士達の視線が、一斉
《いっせい》に注
《そそ》がれる。歳三は毫
《ごう》も怯
《ひる》むことなく、示された上座
《かみざ》へと進んだ。有難
《ありがた》いことに、このような場で変に卑屈になるような神経は持ち合わせていない。むしろ、人によっては傲岸不遜
《ごうがんふそん》と受け取るであろうほどに図太い態度が、ごく自然に出てしまう。将帥として衆の上に立つことを求められている今ならば却ってその方が良かろうと、歳三は特に構えもせず、己のままに臨
《のぞ》んだ。
武揚が、会津への出兵が決した経緯
《けいい》を説明し、その総督に歳三が推されていることを告げる。
「是非にも引き受けてはもらえまいか」
請
《こ》われて、歳三は、おもむろに口を開
《ひら》いた。
「大任ではありますが、土方歳三、もとより死を以
《もっ》て尽くすの覚悟。各藩の御依頼は敢
《あ》えて辞しませぬ」
おお、という小さなどよめきがあがる。歳三はそれを制するように、「しかしながら」と声を張った。
「この儀
《ぎ》を受ける受けぬに於
《お》いては、一応お尋
《たず》ねしておかねばならぬことがございます」
「それは、如何
《いか》なることか?」
万事を心得てくれている武揚が促
《うなが》す。歳三は表情を厳しくし、諸人
《しょじん》を見渡した。
「苟
《いやしく》も三軍
《さんぐん》を指揮せんとするなら、軍令軍律を厳格にせねばならず、もし命
《めい》に背
《そむ》く者あらば、たとえ御大藩
《ごたいはん》の宿老衆
《しゅくろうしゅう》といえど、この歳三が三尺の剣に掛けて斬
《ざん》に処さねばなりませぬ」
よく通る声で、低く、しかしハッキリと、歳三は告げた。
(新選組が強かったのは、上に立つ者が厳とした生殺与奪の権を握っていたからだ。……会津の戦が巧
《うま》く行かなかったのは、一体誰が全軍の生殺与奪の権を握るかを明らかにしてこなかったからだ)
古来、戦場に在
《あ》りては、君命
《くんめい》も受けざるところあり、と言う。平時ならいさ
[#「いさ」に傍点]知らず、戦時に一々国元の意向を確かめていては、勝てる戦も勝てはしない。諸藩の連合で兵を出すとなれば尚更、生殺与奪の権は総督にしかないのだということを徹底させておかないと、事ある毎に「それは国元に諮
《はか》って」とやられ、動かしにくくなるのは必定である。そうなっては、到底、任を果たせはしない。会津での二の舞だ。
『ひとりでも多くの援兵を、会津へ引っ張ってゆく。俺の采配で
[#「俺の采配で」に傍点]動かせる兵を』
「──されば、生殺与奪の権を総督の二字に御依頼とならば、不肖
《ふしょう》の身なれどお受けしますが、その辺りは如何
《いかが》なものでありましょうか」
静かながらも敢然
《かんぜん》と放たれた言葉には、勢いと、反論を許さぬ力とがあった。諸人は草木
《くさき》が靡
《なび》くように応諾
《おうだく》の声をあげた。
「言うにや及ばず」
「お願い申すからには、無論のこと」
どうやら異論はなさそうだ、と見た歳三が、「されば」と応じようと口を開
《へ》きかけた時──
「あいや暫
《しばら》く」との声が、異物感と共に場に投げ込まれた。
「仰せはごもっとも、されど、我らの生殺与奪の権は、そも藩主にあり」
二本松
《にほんまつ》藩の阿部井
《あべい》と名乗ったその男は、やや青ざめながらも必死の面持
《おもも》ちで、訴え掛けるように声を励
《はげ》ました。
「藩主に伺
《うかが》いを立て、許しを得た上でなくば、如何
《いかが》のお答えには及びかねまする。どうか、しばしの御猶予
《へ》を賜
《たまわ》りたい」
諸藩の代表達は、動揺を浮かべた顔で互いを窺い、沈黙に陥
《へ》った。そうだ、そうだった──と我に返ったような空気が一転してその場を支配したことを、歳三は肌で感じ取った。
(……万事は休したか)
そのような“平時
《へいじ》の道理”を思い出させぬよう、毅然
《きぜん》たる態度で諸人を“戦時
《せんじ》の道理”に巻き込もうとした。しかし、場の勢いに流されたり臆
《おく》したりせぬ者もいたということだ。それは、人として見るならば褒
《ほ》められてもいい資質性質ではあろうが、諸藩の代表からの言質
《げんち》を取りたかった歳三にとっては、都合の悪いこと夥
《おびただ》しい、融通
《ゆうずう》の利かなさ以外の何ものでもなかった。
だが、歳三は、相手をはっしと見据えただけで、相手を咎
《とが》める言葉は口にしなかった。藩主の意を等閑
《なおざり》にしてはならじと思うその心根
《こころね》そのものは察することが出来ぬでもなかったからだ。しかし、平時であれば道理であろうその理屈こそ、戦時に於いては絶対に忌避
《きひ》したい理屈の第一。そこのところを念押しする為
《ため》に生殺与奪の権は総督のものと敢えて発言したにも拘
《かかわ》らず、平時の原理原則論を持ち出す者がおり、そしてそれを今は非常の時であるぞとたしなめようとする者もいない。
(望みは……持てんな)
だが、望みを完全に捨てるわけには行かない。此処は若干の忍耐と 譲歩
《じょうほ》も必要であろう。
「──生殺与奪の権なき総督は、総督に非
《あら》ず。その儀が明らかになれば改めて御依頼をお受け仕
《つかまつ》る。なれど、只今
《ただいま》は一日一刻を争う戦時であると、然様心得置きいただきたい」
決然と席を立ち、場を後にする。
引き止める声は、誰からもあがらなかった。
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