それから丸二日が、何事もなく経過した。
 明けて三月十五日の午後――である。
「暇だなあ……歳《とし》さんは忙しそうだけど」
 うーんと伸びをしながら、窓辺に立つ月代惣次郎《つきしろ そうじろう》は振り返った。
 セラミックブレードの手入れに余念のない石田歳三《いしだ としみつ》は、ソファの上に胡座をかいたまま、丁度磨き終わった長脇差《セミロングブレード》“堀川国広レプリカ”の刃をかざしているところであった。
「……よーし、一点の曇りもねえ! 見ろよ惣次郎、いいだろ、この刃紋と、直刀にはない曲線美! これだよなァ、日本刀が芸術品だって言われる所以はよぉ? さーってと、次、次ィ」
 満足そうに頷いて鞘に収め、今度は“和泉守兼定レプリカ”の方を抜く。惣次郎はそんな歳三をにこにこと眺めた。亡き姉の婚約者《フィアンセ》だったこの男が、彼には、時々、自分よりもずっと年下の子供のように思えることがある。但し、お子様ではなくやんちゃ坊主、悪たれ坊主といった感覚なのだが……
「ねえ、歳さん」
「ん」
「歳さんは、どうして刀にこだわるんですか?」
 前々から漠然と惣次郎は思っていたのだ。歳三は、銃――鉛玉にしろエネルギー弾にしろ――というものを、使おうとしない。仕事《ミッション》の時ぐらいは一応上着の下にホルスターで小型ブラスターを固定しているが、少なくとも惣次郎は、歳三がそれを抜いて使うのを見たことがなかった。普段の外出などでは、流石にごく普通の町中で二本もセラミックブレードを差していてはいらぬトラブルの元と考えているらしく、長いが為に人目を引く“兼定レプリカ”は置いてゆくが、それでも脇差に当たる“国広レプリカ”は必ずベルトに差し込む。銃の方が目立たずに済むとはわかっているのに、頑ななほど携行を避けているのだ。それほどまでに、白兵戦兵器である刀が好きなのだろうか。
「言ったろ? こいつ、特にこの兼定はよ、掌に吸いつくような感じがするのさ。重過ぎも軽過ぎもしねえ。バランスも申し分ねえ。握った瞬間、体の一分になる。日本刀のレプリカ、特に大業物のレプリカは目ん玉飛び出るくらい高いんだが、借金《ローン》嫌いのこの俺が、借金してでもこいつを使いてえって惚れちまったくらいさ」
「あのう、そうじゃなくって」
 惣次郎は困ったように笑った。
「どうして刀っていう武器にこだわるのか、って訊いたつもりなんだけど……どうしてその“兼定”や“国広”にこだわるか、じゃないんですよ。ええっと……言い換えたら、つまり、どうして銃を使わないのか、ってことになるかな?」
「何だ、そういう意味か」
 歳三は気の抜けたような顔をしたが、つと胡座をほどき、床に足を下ろした。そして、その足を組むと、その高くなった膝の上で“兼定レプリカ”を磨き始めながら、嘆息するように言った。
「銃ってのは嫌いだ。だからさ」
「嫌い、ですか」
「嫌ぇさ。人を怪我させるにも殺すにも、手応えってものがねえ」
「物騒な発言だなあ」
 惣次郎が笑うと、歳三は眉根に皺を寄せた。
「誤解すんなよ、惣次郎。手応え、ってのは殺し甲斐のことじゃねえぜ。実感って言い換えてもいい。刀剣の類はな、人に斬りつけりゃ、手前《てめえ》の腕に肉を斬り裂く感触ってのが伝わってくる。だが銃って奴は撃った時の反動ばっかりだ。しかも、同じ飛び道具でも弓矢と違って、指一本でとにかく誰にでも撃てると来た。銃なんてモンを握った時から、人間はおかしくなっちまったんだよ」
「……」
「引金さえ引きゃあ、いともあっさりと人が殺せる。飛び道具って奴は、命に直に触れねえんだ。だから、幾ら殺しても命のひとつひとつをこの手で奪ってるって実感はなかなか涌かねえ。実感が涌かねえから、罪悪感にも襲われねえ。罪悪感に襲われねえから、また殺す……目的の為なら簡単に人の命を奪って憚るところがねえ」
 ミサイル兵器なんざその最たるモンさ、と歳三は言い、足を組み直した。
「こいつはもっとひでえ。何しろ、手前《てめえ》では殺す相手を見ずに済む。ヒューッとモノが飛んでった先で何人死のうが苦しもうが、見なくて済むんだ。これほど気楽なこたぁねえよ」
「……でも、ミサイルのボタンひとつ押すにも、銃の引金ひとつ引くにも、ためらいを禁じ得ない人はいると思うんだけどな。歳さんだってそうでしょう」
 惣次郎はクスッと笑った。歳三は彼の笑いをジロリと見やると、ふんと鼻を鳴らして肩をすくめた。
「馬鹿野郎。銃を使わにゃならねえなら、ためらわず使うに決まってんだろ」
「歳さんは優しいなあ」
 言いながら、惣次郎は窓辺を離れた。壁のヴィジフォンのコール音が鳴ったのだ。
「勇美《いさみ》姉さんもよくそう言ってたっけ。……はい、ムーンストーンオフィスです」
 受話器を取ると、回線がつながって、画像が壁掛ディスプレイ上に浮かんだ。人の姿ではなく、ただひたすらにあかあかと輝く光のイメージ映像である。送受信時に顔を見られたくないので別の画像に変えるというのは、よくあることだ。ムーンストーンのふたりにしてもそうで、だから相手のヴィジフォンのディスプレイには、惣次郎の顔や室内の様子ではなく、歳三が黒い画用紙に色コンテで描いた絵が映っている筈だ。まず右上にぐりぐりと黄色く丸を塗り、その近くに白でささっと何本か長さの違う太い横線を引き、それから暫く考えていたが、今度は左下の方に大きな灰色の多角形を置き……等々してこしらえたその絵は、お世辞にも上手いとは言えない。しかしどうにか“満月に照らされた夜の日本庭園の一隅”らしき[#「らしき」に傍点]作品に仕上がってはいる。多くの仕事人《ランナー》は、大抵がそんな風に、自分(たち)の通り名《ランナーネーム》をイメージさせる画像を使う。今ディスプレイで明るく輝いている映像も、惣次郎には馴染みのコンピュータグラフィックであった。だから彼は驚きもせずに応じた。
「あ、リョーさん、こんにちは」
 リョーさん、という言葉に、刀磨きに戻っていた歳三の手がピクッと止まる。
「え、歳さん? 勿論いますよ。え、そうですか。じゃ」
「――馬鹿、いねえと言えよっ!」
 惣次郎の受け答えから相手が訪ねてくるつもりだと直感して腰を浮かせた歳三の後ろに、突然フッと人影が涌いて立った。気配にギョッとなって振り返ると、例のハイネックスーツを着たブライティこと諸葛亮子《もろくず りょうこ》その人の姿があった。
「あいにく、いることは確かめてから来る性格《たち》なのだ。歳が私相手に居留守を使いたがるのは先刻承知している」
 青光りさえして見える黒い瞳を真っすぐ歳三に当て、にこりともせず腕を組みソファの後ろに佇む亮子の言葉に、歳三は舌打ちし、諦めたようにソファに座り直した。
「いい加減にその心臓に悪い出現のし方と柔らかさのカケラもねえ喋り方はよせよな、ったくよ……」
「惣ちゃんを通じてだが、来ることはきちんと告げた筈だ。私の口の利き方がどうであれ、貴公には関わりなかろう」
「玄関から訪ねてこいっつーんだよっ!」
「歳さん、歳さん」
 惣次郎が苦笑気味にふたりの間に割って入る。
「このアパートメント、下手に正面から入ったらセキュリティシステムが作動しちゃって大変ですよ。遺伝子登録してる住人や大家さん以外の人は、廊下も迂闊に歩けやしないってくらいなんだから」
「う……わ、わかってらァ、そんくらいのこたァよ」
 実は忘れていたというのが如実にわかる表情で、歳三は呻いた。
「で、どうしたんだよ、亮子。まあ、突っ立ってねえで此処に座れ。おい、虎徹、緑茶一杯持ってきてくれ」
「カシコマリマシテゴザイマス、歳三サマ」
 声紋に反応する雑用ロボットは、限りなく人声に近い合成音で妙に重々しく答えると、ずんぐりとした円筒形のボディをするすると滑らせ去った。応答の声のタイプや物言いのパターンはプログラム次第だから、このとんでもない時代錯誤の応答はプログラマーの趣味ということになる。元々、購入時は普通の少年風の喋り方だったのを、半年前此処へやってきた惣次郎が勝手にプログラムを書き換えてしまい、かくして、それまでは単にフォワード・ヤマザキ社の型番FY−MR25の商品名“すすむ君”で呼ばれていた雑用ロボットは“虎徹”と呼ばれると重々しい男声でやけに古風な応答をするロボットとなってしまったのであった。歳三が閉口したのは言うまでもない。
 しかし、最も歳三が憮然とさせられたのは、虎徹が歳三には「歳三サマ」と言うのに惣次郎には「惣次郎ドノ」と言い、歳三に対して使うほどには敬語を使わない、つまり“態度が変わる”点であった。「だって“様”付けで呼ばれる時の歳さんの顔がおかしくって」とは犯人《プログラマー》の弁だが、元に戻してやろうにも、惣次郎《はんにん》ほどプログラミング知識のない歳三《ひがいしゃ》にはどうすることも出来ない。結局、泣き寝入りで半年が過ぎていたのである。
「座って話すほどの用でもないのだが」
 最前まで歳三が愛刀の手入れをするのに座していた長い方のソファを譲られると、亮子はそう言いながら腰を下ろした。
「実は、今から例の仕事《ミッション》を片付けに行く。ムーンストーンには世話もかけたから、ひとこと言っておこうと思って、来た。十六時四十五分頃、横島会長の乗ったエアリムジンが第十ブロックにある銀杏ヶ森公園横を通過する。エアリムジンはそこで動力機関の故障によりブレーキもハンドルも利かなくなって横転炎上する。運転手は運良く横転時に衝撃で開いたドアから、やはり衝撃でちぎれ飛んだ座席ごと車外に放り出されて助かる。だが、後部座席にいた横島会長は運悪く衝撃でずれた前部ナビゲーターズシートと後部座席との間に挟まれて脱出出来ず、炎上する車内に取り残されることになる」
「……おい、そんなこと、俺たちに話してどうするんだ?」
 淡々と語られる内容は、本来なら決して仕事《ミッション》前に他者に明かされることのない事柄。下座に当たるひとり掛けのソファに座り直した歳三が眉をひそめて訊いたのも無理はない。
「単に、話しておきたい気になっただけのこと。……ああ、ありがとう、虎徹」
 戻ってきた雑用ロボットから湯呑みを受け取り、ひと口啜って、亮子は続けた。
「あと、念の為言い添えておく。私の秘密口座のある銀行名と口座番号は、知っているだろう。暗証番号はH−J1043KTだ。もしも今日の十七時になっても私から連絡がなければ、全額貴公らの口座に移しておいてもらいたい」
「リョーさん!?」
「もしもの話だ。では、また後刻、仕事《ミッション》の片が付いたら」
「――待った!」
 湯呑みをテーブルに置いてすっと立ち上がろうとする亮子の左腕を、歳三は咄嗟に手を伸ばしてつかんだ。つかんでしまってから相手の男嫌いを思い出し、しまったっ、と猛烈な平手打ちを覚悟したが、しかし亮子はビクッと身を硬くしただけで、いつものように右手を翻しはしなかった。
「……放してくれぬか。あと一時間の間に、まだやっておかねばならぬ事共もあるのだ」
「訊きたいことがあるんだよ――今話した仕事《ミッション》の段取りは、お前が決めたのか? それとも依頼人《クライアント》が決めたのか?」
「依頼人《クライアント》だ。無論代理人《エージェント》がそうと伝えてきたのだが」
 淡々と答えて、亮子はじっと、歳三の妙にこわばった顔を見つめた。
「それが、どうかしたのか」
「よせ、そんな仕事《ミッション》は」
 今度こそ平手を喰らうと思いつつも、歳三は言った。他人から命令口調で物を言われるのを好まない亮子は、殊に、自分の仕事《ミッション》に関して指図がましい口を出されると怒るのだ。だが、何故か今度も彼女は、その目を細めはしたが、手は上げなかった。
「何故、そんな口を利く」
「俺ァ――何か、猛烈に嫌な予感がするんだよ」
 歳三は殆ど唸るように言葉を吐き出した。
「そんな、他人の用意して差し出した舞台に乗っかって踊るなんて、第一、指示されるのが嫌いだってェお前らしくねえぞ――それに、公園だと? 人目も多い夕方だと? とんでもねえ環境じゃねえか!」
「指示されたわけではない。向こうは『良かったらこういう感じでお願いしたいが、無理にとは言わない』と提案してきただけ。不都合ではないと判断したからこそ請けたのだ。それに、銀杏ヶ森公園は潅木の茂みも多い。隠れていられる場所には事欠かぬし、刻限がハッキリしている以上、その場で長々と待つ必要はない。五分ほどその辺りに座って雑誌を読んでいたからといって、人目につくわけでもない。そんな人間は幾らでもいる」
「そ……そりゃあ確かにそうかもしれないが……」
 歳三は口籠もった。まだもやもやと晴れぬものがあるのだが、それを明確な言葉に出来ないのだ。
 亮子は静かに、そんな彼の手を払って立ち上がった。
「……私が仕事人《ランナー》でい続ける理由がわかるか、歳」
 ふっと、そんなことを呟く。
「本当なら、私は、五年前にこの世界から足を洗っていた筈なのだ。仕事人《ランナー》という存在に、自分も含めて嫌気が差していたから」
「……なら、どうしてやめなかったんだよ? お前にはちゃんとした“表”の生活があるんだ、何もこんな危ねえ“裏”を走り回らなくたっていいじゃねえか!」
 半分本気で怒鳴る歳三を見下ろして、亮子はゆっくりと、穏やかに微笑んだ。
 そして、一瞬で姿を消した。



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