皆様既に御存じかとも思いますが、この『残し置く言の葉草の記』の各編の題は、伊東甲子太郎が詠み残した歌の中から、作品内容に合致しそうな文言を四苦八苦しながら探して、付けています。
今回のタイトルに使った「ともに散りなん」という一節は、次の歌から採りました。
若し朝賊もあらば一死と思ひ定めて
真心の色さへ見ゆる時もあらはよし野の花とともに散らなん
……はい、一文字、違いますね。
でもこう書かれているんですよ、子母澤 寛
《しもざわ かん》先生の『新選組遺聞』(中公文庫 一九七七)収録の「伊東兄弟」の中では。
ところがこの歌、実は、初めて読んだ時に「……?」と首をかしげてしまった歌。
歌の詞書
《ことばがき》を読む限り、これ、決意表明の歌でしょう。もし朝廷に仇なす者がいれば己の一命を擲
《なげう》とう、という……
ところが、そう思って読むと、この歌、最後の所でコケてしまうのです。
素直に、頭から現代語にしてみますね。
「真心の色さへ」……真心の色(様子)だけでも
「見ゆる時もあらは(あらば)」……見える時なりとあれば
「よし野の花とともに」……吉野の花(一般には桜)と一緒に
「散らなん」……散ってほしい
……散ってほしい?
決意表明なら、素直に考えれば、こう流れてくれば「散ろう」か「散るだろう」では?
散ってほしい、だったら、誰か他人が「散る」ことを願っている意味になりかねないのでは?
……実はこの「なん(なむ)」というのは、古語を学ぶ者が必ずと言っていいほど最初は惑う羽目になる結びでして。
前に来る用言の活用によって、意味が全く変わるのです。
未然形が来れば、終助詞「なむ」として「〜(し)てほしい」という意味になりますし、連用形が来れば、完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量・意志の助動詞「む」として「〜(す)るであろう」または「〜(しよ)う」という意味になります。
間違いなく、古文の試験の頻出問題のひとつでしょう。
この歌の場合、「散りなん」……散るであろう、散ろう、の方が素直に意味が通る気がするのは、私だけでしょうか。
まさかあの伊東先生が文法ミスをやらかすとは思えないので、本の誤植……?
★★★★★
ところが。
その後、小野圭次郎氏の「伯父 伊東甲子太郎武明」が収録されている『新選組覚え書』(小野圭次郎 他 新人物往来社 一九六二)を、幸いにも古書で入手することが出来まして。「伯父〜」は、歌集『残し置く言の葉草』を全編収録してくれている、知る人ぞ知る有難〜い文章です。
早速、真っ先に、あの「散らなん」の歌を探したのですが……
若し、朝敵もあらば死を思ひ定めて
真心の丹きを示す時あらば身は野の花と共に散らなむ
……はいぃ?
あ、あのお、思いっ切り、文言が違うんですけど……(汗)。
実は、この歌に限りません。「伯父〜」で小野先生が引き写しているものと、「伊東兄弟」で子母澤先生が引用されているものとでは、余りにも歌の文言・詞書・題・並び方が違い過ぎるのです。
ううむ……どっちが正しいのでしょうか。
その判定は措くとして、この歌。
先程同様、現代語に置き換えてみましょう。
「真心の丹《あか》きを」……真心に嘘偽りのないことを(参考:嘘偽りのない真心のことを「赤心《せきしん》」と言う)
「示す時あらば」……示す時があれば
「身は野の花と共に」……この身は野の花と一緒に
「散らなん」……散ってほしい
……無論「散りなん」の方が決意表明として明快な気がすることには変わりありませんが、たった一語「身は」という言葉が入っているだけで、不自然さが相当減じているのがおわかりかと存じます。
こちらであれば、私が首をひねることはなかったでしょう。
果たして、どちらの先生の引用が、元の歌集の言葉として正しいのか。
この歌だけで結論を出したりはしませんが……私の中では、小野先生ちょびっと優勢(苦笑)。
執筆年代は、手持ちの書籍でざっと調べた限りでは、子母澤先生の「伊東兄弟」の方が古い……ようです。
ただ、小野先生の「伯父〜」と「岳父 鈴木三樹三郎忠良」は、子母澤先生の著作以前に出された鈴木三樹三郎の息子の著作を下敷にして書かれた模様です。……もっとも、子母澤先生の著作中の「小野圭次郎氏談」の部分と、小野先生の「岳父〜」の結びに至る部分とが、片や語り口調、片や“である調”、という違いがあるだけで殆ど同じ、という辺りには困惑させられますけど。
うーん……ホント、どっちの歌が原典に近いんだろう……
★★★★★
でも結局、この作品の題は、「ともに散りなん」のままに置きました。
元の歌と違うことになりますが、やむを得ません。
だって、「ともに散らなん」だと、「一緒に死んでほしいな〜♪」になっちゃうんだもん(滝汗)。
※旧宅「野間りん、続きは〜?」2002年2月掲載の文章を元に、大幅に加筆
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