「お前が手を抜いても彼の相手が出来るというならそうしても良いが、それはそれで、“手を抜かれている”と相手に気付かれてしまう懸念があるのではないか?」
「……はい、恐らく」
「手を抜かれたと思えば、お前がどんな理屈を付けようと、あの男は『いいから本気で来い』とお前に迫りかねん。お前も困るだろう。そうなるくらいなら、最初から本気で相手をしてやって構わん。……そもそも、私が、王族でも何でもない身でありながらジャナドゥを幾人も抱えて使っていることは、今や他国に於いても公然の秘密になりつつある」
 ケーデルは苦い笑みを浮かべた。
「お前がジャナドゥであるとあの男に気付かれてしまうところまでは致し方ない、と諦めよう。……お前が私の“懐刀《ナノリラン》”であることにさえ気付かれねば、それで良い」
「……かしこまりました」
 ケーデル・フェグラム将軍は王族ならぬ身でありながら多数のジャナドゥを抱えて見事に使い熟《こな》しているが、その中に際立って優秀有能なジャナドゥがひとり居て、その“懐刀”が、戦場に於ける将軍の様々な作戦遂行を陰で大いに支えているそうな――そんな評判がマーナ国内で立ち始めたのは、今年に入ってからである。
 実際には、グラインを含め誰かひとりの貢献が飛び抜けているわけではなく、互いの連携によって主ケーデルを支えているのだが……ジャナドゥ仲間達は「際立って優秀有能なジャナドゥがひとり[#「ひとり」に傍点]、と言われたら、その“懐刀”なる“称号”はグライン以外には相応《ふさわ》しくない」と笑うし、ケーデルもまた「ひとりだけをどうしても選べと言われれば、お前だな」と笑うから、いつの間にか彼女が“知将《ドー・ルーム》の懐刀《ナノリラン》”だという位置付けになってしまっている。
 その“称号”を誇る気持ちは彼女にはないが、主が笑いに紛らせながらも示してくれる信頼そのものは、彼女にとって嬉しく有難いものであった。
 ……とは、いえ。
 ミディアム・サーガへの対応は、なかなか悩ましかった。単なる女中として接する関係上、自分に武術の心得があることは悟られないようにしてきた……つもりだったのだが、一か月以上も接していると誤魔化し切れなくなっていたらしい。
 主から頼まれた稽古の話をどう切り出すべきかと考えつつ、ミディアムの滞在に割り当ててある部屋へ朝食を運ぼうと配膳台を押してゆくと、丁度、朝の打ち込み稽古を終えたばかりの風情で 長杖《リュケイラン》を肩に担いで歩いてきた相手と、扉の前で顔を合わせる恰好になった。
「あ、お早う、メーリャ。有難う、好い感じに空腹だったんだ」
 屈託のない笑顔で、そんな挨拶を投げ掛けてくるミディアム。上品とはお世辞にも言えない筈の“傭兵上がり”なのに、彼女に対して粗野に振る舞うことは意外なほどにない。それどころか、彼女が配膳台を両手で押しているのを見るやごく自然に扉を押し開いてくれる辺り、紳士的でさえある。マーナで傭兵となる以前の育ち――生まれ付き盲目の母親とふたり暮らしだったという子供時代に、女性を扶《たす》けることは当たり前だという素地が培われているのだろうか。……しかし、見ている限りでは、彼女に限らず、男性の使用人達に対しても気さくに声を掛け、当然のように作業を手伝おうとするところがある。
 してみると、自分よりも身分や立場の低い相手に手を貸すことへの拘泥が全くない性分なのかもしれない。彼女の主ケーデルも、相手の身分や立場の低さに頓着せず、自分が手助け出来る位置に居れば自ずと手を出そうとする傾向があったが、彼らふたりに共通しているのは、使用人を必要としない家に生まれ育ち、その必要のない環境に置かれたまま大人になったことだ。
(それでも、ケーデル様の方は、使用人の居るお暮らしに十数年の間に流石にお慣れになったからか、主人と呼ばれる人間が手を出すべきではない局面で我々にお手を差し伸べようとなさることは殆どなくなってきたけれど……)
 恐らく、ミディアムは未だに、自分が高級武官であるという意識が稀薄なままなのではあるまいか。シャーラミディアでも、以前下級武官が借りていたという市中の小さな家を買い取ってもらい、そこでずっと独り暮らしを続けているというから、使用人の存在には慣れようもないだろう。
(……我々を自分と対等の存在として見ている、という感じが一番しっくり来る)
 使用人という立ち位置に居る側として、最初は戸惑うこと夥しかったが、ただ、助力を拒んでも機嫌を損ねることなく素直に引き下がってくれるので、困らされるほどではなかった。一か月以上も経った今ではもう、「そういう相手なのだ」と割り切って接している。
 卓上への配膳を済ませたグラインは、ちょっと迷いながらも、自分の方から稽古話を切り出してみることにした。
「今朝、ケーデル様から私に、あなたの稽古の相手を務めるように、とのお話がございました」
「あ、もう話してくれてたんだ」
 席に着こうとしていたミディアムが、照れ臭げに笑う。



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