「私には妻も娘も居ない。仮に居たとしても、そんな真似をさせられるわけがない」
「随分と綺麗な女中が居るじゃないか。白金《リサイル》色の髪の。あの娘でも構わないぞ」
 からかうような返しに、ケーデルは我知らずカッとなった。
「悪い冗談も大概にしてくれ。そういうことをさせる為に彼女を置いているわけではない」
「ほう、じゃあ、お前、あの娘に手も付けてないのか」
「当たり前だ。そんな馬鹿な真似が出来るか」
「当たり前ねえ……じゃあ、何の為に側に置いてるんだ? あんなに綺麗な若い娘を」
「彼女は──」
 ケーデルは勢いで答えかけ、言葉に詰まった。ジャナドゥだ、とは流石に迂闊には口に出来なかった。
「──私の、有能で大切な部下だ。それ以外の何者でもない」
「そんな有能で大切な部下に、女中のお仕着せを着せて喜んでるのか?悪趣味な奴だな」
「……何とでも言え」
 ようやく冷静さを我が身に引き戻したケーデルは、敢えて投げ遣り気味に応じた。自分が相手の軽い挑発にうかうかと乗せられ、いつになく感情を波立たせてしまった──という自覚があった。
「大体、君は、クーフィーのことが好きだったんだろう。それとも、今はもう何とも思ってないのか?」
「好きさ。昔以上に」
「それなのに、よく他の女に色気を出せるな」
「随分と堅物だな、お前」
 セラディンは呆れたような笑いを浮かべる。
「伴侶にする女と、行きずりで関わる一夜限りの遊び女は全くの別物だろう。違うか?」
「……君のその価値観を共有する気はない」
「そうと割り切れないと、きついだろうに。いい年をして、商売女とも関わりを持たず、女中にも夜伽《よとぎ》をさせずで、どうやって夜を過ごしてるんだ? ひとり妄想で慰めてるのか?」
「……余計なお世話だ」
 再びカッとなる自分を辛うじて抑え込んだケーデルは、ごく低い声で返した。
 セラディンは肩を竦め、唇をうっすらと笑みの形に歪めた。
「成程、こういう話題がお前の逆鱗だったんだな。ひとまず此処までにしておくか。そろそろ叩き出されそうな気がしてきたし。……さて、それでは有難く、湯を使わせてもらうことにしよう」

 晩餐の最後の一品を卓上に並べ終えたグライン・マーリは、僅かに目を細めた。
 主ケーデルと、遠来の客人との間に、何か、おかしな空気がある……ような気がする。
 特に、ケーデルの表情が、彼の様々な表情を何年も身近で見てきたグラインには、険しい感情を押し隠しているもののように見えてならなかった。
 客人については……リーズル時代の学友だ、という説明しか受けていなかったが、主に対して世間一般的な親しさを覚えている様子は感じ取れない。かと言って、余所余所しさを見せているわけではない。
(……リーズル時代の“学友”は、裏では足の引っ張り合いだったと、そう言えば昔、ケーデル様は仰っていた)
 ひょっとすると、主にとって、このセラディンとかいう男は、実は、害になる相手なのだろうか。
 給仕は要らないと言われていたが、何かしら理由を付けて留まった方が良いかもしれない……
 そこまで思いながらお茶の煎じ壺を手に取った時、ケーデルが口を開いた。
「メーリャ、給仕は不要だ。必要な時は私が呼ぶ。退《さ》がっていろ」
 主の声には、反論を許さぬ厳しさが滲み出ていた。実質的な人払いであると理解したグラインは、「かしこまりました」と丁寧に頭を下げて引き下がった。
「……吝嗇《けち》な奴だな。そんなにあの娘を俺の目に晒しておくのが嫌か?」
 彼女が部屋を立ち去った直後に投げ掛けられた言葉に、ケーデル・フェグラムは冷ややかな一瞥で応じた。
「出来ない持て成しはしない」
「目の保養ぐらいさせてくれても良かろうに、心の狭いこと」
「自分の大事な部下を夜伽に差し出せなどと悪ふざけを言われて、寛大になれるか。目の保養とか称して眺め回されると思うだに不愉快だ」
「おお怖い怖い」
 セラディン・ペルテアは、応えた風もなく笑った。
「手は出さんくせに“俺の女”扱いか。……向こうはどう思ってるだろうな」
「なに?」
「そこまでお前から拒まれると、逆に試してみたくなる。あの娘、お前の為になる何かと引換にしたら、存外あっさり落とせるかもしれん」
「……貴様、何をしに来た?」
 ふざけるな、と怒鳴りたくなるのを堪えつつ、ケーデルは唸りに等しい声を上げた。
「お前に会いに来たんだよ」
 セラディンの答は些かも悪びれない。



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