「入っても構いませんか、カーティス?」
音の直後に続いた声に、ミグ・ローリアがハッと身じろぎ、パッと顔を輝かせた。
「おや、その声は──おお、構うことはない、どうぞどうぞ」
娘ほどには面
《おもて》には出さなかったが、やはり明らかに喜色
《きしょく》を見せて、父親の方が承諾
《しょうだく》の声を返す。
「ではお邪魔
《じゃま》しますか」
扉が開
《ひら》き、ひとりの壮年男性が室内に歩み入
《い》ってきた。漆
《うるし》の黒髪
《くろかみ》の中にひと房
《ふさ》だけ白金
《プラチナ》の輝きが交
《ま》じり、額
《ひたい》に落ちている。
「叔父様
《おじさま》!」
「おや、ミグ、あなたも来ていたのですか……レーナの予言者
《よげんしゃ》に抜擢
《ばってき》されたという噂
《うわさ》は、聞いていますよ。少し大きくなりましたね」
男は、立ち上がり駆け寄ってきたミグの肩をにっこり笑って叩くと、古ぼけた背嚢を背中から下ろした。
「外は嵐
《あらし》だというのに、相変わらず此処
《ここ》は長閑
《のどか》ですね。里が閉じられていた
[#「里が閉じられていた」に傍点]ので、ちょっと驚きましたが」
「ミグが訪
《おとず》れているので、用心の為
《ため》にと閉ざしているのだが……外が嵐とは?」
「まだ御存じなかったのですか、カーティス? またひとつ、国が消えたのですが」
旅装用の袖なし外套をくるくると丸めてしまいながら、客人
《きゃくじん》が訊
《き》き返す。カーティスと呼び掛けられたミグの父親は、かぶりを振った。
「いや、ダランドー、今初めて聞いたよ。消えたというのは、リベル辺りが?」
「いえ、クデンです。マーナに三日
《みっか》で併合
《へいごう》されました」
「マーナに?」
カーティスは目を円
《まる》くした。
「クデンは確かマーナと同盟
《どうめい》を結んでいた筈だろう? それに、三日だって? たった三日でか?」
「同盟関係を逆手
《さかて》に取ったというか、悪用したというか……マーナのあの若い指揮官
《しきかん》は、最近“マーナの知将
《ドー・ルーム》”としてよく名を聞きますが、時として、人が人として当たり前に持つと思われている道義
《どうぎ》を正面切って踏
《ふ》み躙
《にじ》ってのける冷厳
《れいげん》さを持っているようですね。それだからこそ、その謀略
《ぼうりゃく》も巧
《うま》く運ぶのでしょう。個人的には、ああいうのは“知将
《ちしょう》”と言うよりも“詐謀将
《さぼうしょう》”か“人非人
《にんぴにん》将
《しょう》”と言うべきではないかと感じますよ」
ダランドーと呼び掛けられた客人は、厳しい言葉の割には淡々
《たんたん》とした口調
《くちょう》でそんな論評
《ろんぴょう》を述
《の》べながら、丸め終えた袖なし外套を背嚢と一緒
《いっしょ》に部屋の隅
《すみ》の棚
《たな》に置いた。
「それで、その併合は、いつだったんだ?」
「第十月
《だいじゅうげつ》の十四
《じゅうよん》の日に、実質、全て終わりました」
「……おい、昨日
《きのう》じゃないか」
カーティスは苦笑した。決してひとつ所に留まることなく各地を気儘
《きまま》に旅して回る薬師
《くすし》であるが故
《ゆえ》に“放浪
《ほうろう》の薬師”と呼ばれるこの義理の弟には、大技
《おおわざ》と言われる“移し身”の能力
《オーヴァ》が具
《そな》わっている。その気になれば、馬ごと“移し”て旅程
《りょてい》を縮めるなど、雑作
《ぞうさ》なくやってのける筈だ。
「昨日のことでは、私には知りようもないよ、ダランドー」
肩を竦
《すく》めるカーティスに、ダランドーは首をかしげた。
「いや、てっきり、ミグがそのことで来ているのかな、と思ったのですよ。当然レーナにも急報
《きゅうほう》が届いているでしょうから」
「叔父様、護衛
《ごえい》付きでシャーラミディアからセードの森へ来るのには、五日半
《いつかはん》は掛かるんですよ」
ミグがくすっと笑う。
「ああ、そうか──お供
《とも》付きでは仕方ないね」
ダランドーも、くすっと笑った。ひどく諧謔味
《かいぎゃくみ》のある笑いだった。
「ところでミグ、済まないのですが、暫
《しばら》く席を外してもらえませんか。あなたのお父様と少し、ふたりで話したいのです」
「わかりました。でもその前に、お茶をお持ちして構いません?」
「ああ、それは有難
《ありがと》う。ええっと──」
「濃い目ですね?」
ダランドーは笑って頷
《うなず》いた。
「また後で、お話を聞かせてくださいね、ダランドー叔父様」
「いいですよ」
「約束ですよ、叔父様!」
「逃げませんよ」
ダランドーが両手を軽く挙
《あ》げて応じると、ミグはくすくすっと笑い、自分の茶杯を持って出ていった。
「困った娘だ……君が羨ましいよ、ダランドー。父親の私になどより、余程
《よほど》懐
《なつ》いている」
彼女の足音が遠くなるのを聞きながら、カーティス・ミルム・ローリアは苦笑
│気味
《ぎみ》に嘆息した。
「そうですか?」
「そうだよ……尤
《もっと》も、理由を考えれば無理もないが」
「理由ですか」
「ああ……君の人柄
《ひとがら》もそうだろう。だが、どうも、もうひとつ理由がありそうだ」
ダランドー・ツモン・ロンは、椅子に腰掛けながら首を傾けた。
「もうひとつ?」
「そうだ」
カーティスは頷いた。
「あれはミグがレーナに出る前だから、十二かその辺りの時だ。私に、言ったことがあるよ」
「理由をですか?」
「いや……ただ、『叔父様は、姉様
《ねえさま》にとっても叔父様なのよね?』と」
沈黙が、ふたりの間
《あいだ》に落ちた。
「……ミグは、君を、一種、あれ
[#「あれ」に傍点]の代理としても見ているらしい」
やがて、カーティスが再び口を開
《ひら》いた。
「君は、あれ
[#「あれ」に傍点]の、血の繋
《つな》がっている叔父だ……似ているかどうかはともかく、何か同じものを有
《ゆう》しているに違いないと、ミグが、考えはしないまでも漠然
《ばくぜん》と思っていることは、確かなんだ……」
カーティスの声が、ふと、くぐもる。
そこへ、扉を叩く音と、入室の許しを求めるミグの声とがした。入ってきた彼女は、ダランドーと、それからカーティスにもお茶を出し、茶菓子
《ちゃがし》の皿を置いて、その後で、カーティスが最初に口を付けていた方の茶杯を引き取り、出ていった。
「……実はカーティス、私は、そのことで急遽
《きゅうきょ》、此処へ戻ってきたのです」
暫くして、ダランドーが言葉を発した。
「そのこと──?」
「……彼女
[#「彼女」に傍点]を、クデンの都
《みやこ》アベリアで、見ました」
途端
《とたん》──
カーティスの顔色が変わった。彼は半
《なか》ば腰を浮かせ、これ以上は無理というほど目を見開いて、ダランドーを見つめた。
「ほ……本当に!?」
「あの髪と瞳の色は、カーティス、あなたのものでした」
黒い瞳を義兄
《ぎけい》に真っ直
《す》ぐ当てながら、ダランドーは呟
《つぶや》いた。
「けれど、目鼻立ちと身に纏
《まと》う雰囲気とは、私の姉
《あね》に恐ろしいほど似ていました」
「本当に!?」
「年齢
《とし》の頃
《ころ》は二十八、九
《く》、間違いないでしょう」
「ああ──それがもし本当にあの娘
《こ》なら」
カーティスは震えた。
「生きていてくれたのか──もう諦めていたものを──僅
《わず》か十一、二で外へ出て、生きていられる筈もないと──ああ、しかし──」
彼は熱っぽく呟き、そしてダランドーを見つめ、更
《さら》に熱を増した口調で問い掛けた。
「話をしたのか? どんな暮らしをしていた?」
「見掛けただけです。明け方、窓から通りを眺めていた時に」
しかし、とダランドーは続ける。
「その時の服装と、傍
《かたわ》らにいた人物とを考えると……」
……ダランドーの言葉を全て聞き終えたカーティスは、一転
《いってん》青ざめた顔で頭を抱え込み、肩を戦慄
《わなな》かせながら卓上に伏してしまった。
「馬鹿
《ばか》な……」
呻
《うめ》きが洩
《も》れる。
「そんな仕事を選んでいるのか……あれ
[#「あれ」に傍点]は……」
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