その少年は、私が見ていることに気付いていなかったのだろう。
 不意の雨に遭って借りていた粗末な家の軒下から、見るともなく村内の風景を眺めていた私は、雨が上がるが早いか姿を見せたひとりの少年の行動に目を吸い寄せられていた。
 年の頃七つか八つと思《おぼ》しきその少年は、村内を大きくうねるように巡っている道を足早に下りてゆくと、先程までの雨で出来たらしい大きな水まりの手前で道に腹這いになり、それから、その近くで道の両脇に茂っている灌木の間、それもかなり低い位置に細い紐を渡して括り付けていた。
 何をしようとしているのだろう、と興味を覚えつつ眺めていると、少年は片方の結び目を緩め、為に地面に落ちた細い紐の上に、雨で緩んだ土を軽く被せ、均すように踏んだ。
 張った紐をわざと緩め、他人の目から隠そうとしているらしい。
(……悪戯をしようとしているのか?)
 思いながら見守っていると、少年は辺りを見回し――そしてようやく、私が見ていたことに気付いたらしい。僅かに体を固まらせたような様子を見せたが、私が笑顔で軽く手招くと、警戒の色を伺わせつつも大人しく寄ってきた。私の顔や旅装を見て、私が外から訪れた旅人であり村の人間ではないから、見られたことが即座に不利益になると決まったわけではない、と一瞥で判断したのだろうか。……そう勘繰ってみたくなるような足取りと表情であった。
「何やら面白そうな仕掛けをしておったのう。あそこを通る者の足を引っ掛けて、水溜まりに転がすつもりかの?」
 努めてのんびりと尋ねると、少年はきゅっと唇を引き締めた。……痩せ具合や見窄らしい上下《ドージョ》からしても、豊かな暮らしをしているわけではなさそうだが、下卑た雰囲気は全くない。寧ろ、奇妙なことだが、何処かの良家の子が何かの間違いで貧しい暮らしを強《し》いられているような、そんな印象さえ受けた。
「……全員を転ばせるつもりはありません。だから、埋めて隠したんです」
 少年の答に、私は小首をかしげた。
「ほほう、差し支えなければ、転ばせたい相手を教えてくれんかの?」
「……それは言えません」
 陽光の流れ落ちるかの如き輝きを持つ金色の髪が、左右に振られる。
「失礼ですが、あなたがそれを相手に伝えてしまわないという保証がありませんから」
「ふむ。確かにな」
 私は笑った。この年代の子供にしては用心深いし、口の利き方も随分しっかりしている。
「じゃが、ああやって埋めてしもうたら、転ばせたい相手も引っ掛かってはくれまいて。どうやって引っ掛けるつもりだったのか、それだけでも教えてはくれんかの?」
「……僕を追い掛けてきたら、あそこに誘い込んで、落としておいた紐を引くつもりです。下り坂ですから、勢いが付けばよけられない筈です」
「ほう。……そう巧く行くかのう?」
「何度もあそこを通るように逃げて、僕があの道を駆け下りるのを、いつものことだと相手に思わせるようにしてきました。今日やっと雨が降ったんで、実行に移したんです。道を少しずつ掘っておいたから、ちゃんと目当ての場所に水溜まりも出来てました」
「ふむふむ」
 私は興味深く、少年の“計略”に耳を傾けた。その目論見には穴がある、とは感じたが、この年代の子供にしては色々と考えられているところが面白かったのだ。
「じゃが、お前さんを追ってきた相手は、お前さんが普段と違って灌木の茂みに隠れるのを見れば、咄嗟《とっさ》に用心するかもしれんな。下手をすれば、そこで道を外れて、お前さんの後ろに回ろうとするかもしれぬ。確実に誘い込めるとは言い切れぬじゃろうよ」
 指摘すると、少年は、ぱちぱちと二度《まばた》き、ぐっと唇を噛んだ。青い瞳に一瞬ながら落胆の色が浮かぶが、すぐに、それを隠すように目を伏せる。



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