「両者、前へ!」
 審判の声は、大歓声に殆ど掻き消された。
 デラビダっ子達は、老いも若きも、貴族も庶民も、これから始まる一戦を決して見逃さじと沸き返っている。何しろ、今から決勝進出を懸けて戦うのは、マーナ二大武家であるセドリック家とノーラ家の、本家の嫡子同士なのだ。十年近く前に、やはり同じ年末闘技会で、こちらは決勝であったが、セドリック家本家当主ナルコスとノーラ家本家当主ニコルスとが、マーナ史に残ると評されたほどの激烈な戦いを繰り広げたことがある。その時以来の生粋同士の組み合わせと来れば、興奮するなという方が無理な相談であった。
 だが、今試合の場に立っている当人同士は、騒ぎ返る周囲とは対照的に、燃え盛る闘志だの滾り立つ気合だのとは無縁であるように見える。片やセドリック家のひとり娘デフィラはただ静かに落ち着き払っているし、片やノーラ家のひとり息子ノーマンは何やら仏頂面で気乗り薄の様子。そんなふたりが、武器改めを終え、互いに自分のリランを手に、審判の声に応じていよいよ中央へと歩み寄った。
「──デフィラ、とか言ったな」
 三歩の距離で足を止め、ノーラ家の一子が口を開く。
「貴女、年齢《とし》は幾つだ?」
「十七
「婿でも取って屋敷に引っ込むにギリギリの年齢《とし》だろうが。此処は、女なんかの来る所じゃないぞ」
「私を倒してから言ってもらおう」
 セドリック家の一女はにこりともせずに呟くと、リランを僅かに正眼の位置から左に寄せ、刃を寝かせるようにして構えた。
「無制限一本勝負──始め!」
 審判の手が跳ね上がる。
 刹那、デフィラ・セドリックは相手の胸元目掛けて真っ直ぐ突っ込んだ。一見不用意な突き技だった。果たして、相手は余裕たっぷりの動きでこれを躱した。
 だが、最初の突きを外されるのは、彼女の計算の内に入っていた。
 外されたと見えたリランが、急に横に滑った。
「──っ!?」
 予期せぬ速度で喉許を薙ぎに来たリランに、ノーマン・ノーラは仰天した。辛くも躱せたのは、日頃えられた反射神経の賜物でしかなかった。間髪を容れぬ第三の鋭鋒をよけ損ねて危うく後ろに引っくり返りそうになった彼は、思い切り飛び退ると、デフィラとかなりの間合を取った。顔付きも顔色も変わっていた。
 デフィラは相手に息をつかせる暇を与えなかった。即座に躍り込み、リランを合わせる。三、四、五合、変幻自在の素早さであった。
「くそっ──」
 ノーマンは予想もしなかった苦戦を強いられ、焦りに囚われていた。生粋のセドリック、しかも年下、しかも女! こんな相手に負けでもしたら、一族のいい恥曝しだ。何とか自分の調子を取り戻し、相手をそれに巻き込まないと、勝ちは覚束ない。彼は、それまでの試合では一度も出さなかった力業で、相手を突き崩そうとした。半歩後退し、すかさず間合を詰めてくる相手のリランを、渾身の力で下から上へと勢いよく跳ね上げる。これで相手が体を泳がせでもしてくれれば、次の瞬間には決めてみせる──
 デフィラの対応は、だが、ノーマンの思惑を越えていた。
 彼女の姿が目の前から失せた、と思った刹那、強烈な殺気が後ろ上方から降り掛かった。ノーマンだからこそよけられた。間一髪身を捻ったそのすぐ傍らの空間を、相手のリランが空しく斬って落とす。相手は躱されたことを気にする風もなく軽やかに地上に降り立つと、そのまま素早くひらりと後ろに跳び、ノーマンから充分な距離を取った。
 彼らは、左右を入れ替えて再び向き直る恰好になった。
(もし俺があれでも力一杯《か》ち上げてなかったら──よけられなかったかも)
 ノーマンの背に冷たい汗が流れた。相手は、自分の力に逆らわず、逆にその力を利用して跳躍し、後ろを襲ったのだ。その身軽さと反応の迅速さは、尋常ではない。相手の技量は、その点に限って言えば、自分がこれまで訓練や試合や戦場で刃《やいば》を合わせてきた幾多の相手などまるで問題にならないくらい、群を抜いて優れている。
(第一、こいつ──試合だって意識がないのかっ?)
 今迄の一連の攻撃もそうだったのだが、今し方後ろを襲った殺気は、間違いなく本物だった[#「間違いなく本物だった」に傍点]。だからこそ、ノーマンも本気で躱すことが出来たのだ。
(怪我をさせたら失格なんだぞ!?)
 しかし、目の前の娘には、ぎらつく殺気はとんと[#「とんと」に傍点]感じられない。寧ろ彼が面食らうほどに静かで、乱れがない。彼はその態度に眩惑された。一体どう相手すればいいのか、どうにもわからなくなった。
 デフィラは、相手の惑いを見て取った。見ては取ったが、だからと言って無闇に押す気はなかった。彼女もまた、今迄の相手の対応に、ひと筋縄では行かぬ手強さを感じ取っていたのである。下手に押してゆけば、強かに反撃を喰らうだろう。現に、先刻のような力業で迫られたら、彼女の勝ちは遠のく。さっきは幸い上手く対応し得たが、あれが上から下へ叩き落とそうとする力だったら、リランを取り落とすか体が前にのめるか、いずれにしても致命的だったのだから。
(力業に持ち込まれたら、負ける)
 彼女は改めて自分に言い聞かせると、す、と正眼に構えた。
 今度は、どちらも容易には動かぬ。じりっ、じりっと足場が動き、円を描くかのように少しずつ双方が移動してゆく他には。
「どうしたァ!」
「行けェ、行けェ!!」
 周囲の嗾《けしか》ける声も、彼らには届かぬのか。
 が、やがて、ノーマンの方がフッと構えを崩すと、動きを止めた。デフィラは軽く眉を顰め、釣られて思わず足を止めた。
 瞬間、五歩の距離が半歩になった。凄まじい速さの打ち込みを、デフィラは咄嗟にリランで受けた。その両手に痺れんばかりの衝撃が伝わる。リランを取り落とさずに済んだのは、偏《ひとえ》に、まともには受け止めず、少しでも流したからだった。彼女は回り込むように第二撃を躱し、第三撃を躱した。
(──速い。やはり、あれ[#「あれ」に傍点]は本気で戦ってはいなかったのだな)
 そうやって相手の攻撃を躱し続ける内に落ち着きを取り戻したデフィラは、そんなことを考えた。カミル王子相手の時とは全く比較にならぬ疾風迅雷の剣技で自分に襲い掛かってくる相手が、彼女には、何となく嬉しく思われた。
(が、そろそろ決めないと)
 彼女は、十何度目かの鋭い薙ぎを躱しざま、ひらりと跳躍した。そのまま相手の背を取り、振り向く暇《いとま》も与えずに後ろから相手の喉を掻き切る形を作る。
 いや、作るつもりだった。
 デフィラの姿を見失ったと見るや、相手はいきなり身を沈めた。そして、振り向きもしないでリランをぶん[#「ぶん」に傍点]と頭上に振るった。すんでのところで、そのリランは、デフィラの足を薙がずに終わった。彼女が反射的に膝を自分の体に引き付けていなければ、相手のリランの峰は、彼女の足を払って地面に叩き落としていたに違いない。
 デフィラは受け身を取って地面に転がると、その勢いのまま三、四回転し、相手との距離を取ってから跳ね起きた。
(二度は通じぬ、と言うのだな)
 彼女は、肩で微かに息をしながら心中に呟いた。
(拙いな)
 跳躍攻撃は二度が限度だ。それ以上は、“影《ジャナドゥ》”──王と王族に仕える忍びの者──ではないのだ、無理というものである。今迄は、一度この跳躍攻撃に持ち込めれば、殆どの相手を負かすことが出来た。仮に一度目に失敗しても、再び跳躍攻撃の形に持ち込めたなら、必ず相手を屠ることが出来た。だのに、生まれて初めて、それで勝負を決められなかったのだ。
 しかし、デフィラが“拙い”と感じていた事柄は、実は、もう一点、あった。
 足──
 これまた今迄にはなかったことだが、足が、早くも彼女の思い通りに動かなくなる気配を見せつつあったのだ。それは、彼女の身上たる素早さと身軽さを少なからず損なう要素であった。
 振り向いてリランを構え直したノーマンが、ほんの微かに笑った。彼女とは逆に、少し余裕が出てきたのだ。
 デフィラはその余裕を嫌い、自分から飛び込んだ。五合六合七合と刃《やいば》が合った。双方、今度は一歩も退《ひ》かぬ。観客は沸いた。立ち上がり、大口け、拳突き上げてわあわあと喚き散らした。
「はああっ!」
 二十合近い攻防の後、ノーマンが力任せの鋭い一撃を叩き付けてきた。まともに受けてはならじ──デフィラは後方へ跳び、相手から離れた。
「──!?」
 何としたことか、その足が不意に崩れた。片膝が地に着いた。
「貰ったっ!!」
 機を逃す筈もないノーマンのリランが、決定的な形を作る──
 三秒の後、審判の右手が挙がった。
「── 一本っ、それまでっ!!」
 そこに出来上がっていた形は──
 打ち下ろされた青年のリランの刃《やいば》は、中途半端に宙に止まっていた。娘のリランの切っ先が、直下からその青年の喉許にピタリと擬されていた。
 ふた呼吸置いて、歓声が爆発した。



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