元治元年十月下旬、隊士募集等の為に江戸に下向していた近藤さん達が、京に戻ってきた。
土方歳三は、留守
《るす》を預かっていた間の諸々
《もろもろ》を報告する為
《ため》に、勇が落ち着いた頃を見計らってその居室を訪れた。
が、訪れてみると、そこにはひとりの先客がいた。
「おう、歳、歳さん、丁度良かったよ」
その先客と話し込んでいたらしい勇が、上機嫌
《じょうきげん》そうな顔を向ける。歳三は軽く眉をひそめて「局長
[#「局長」に傍点]」と殊更
《ことさら》に声をかけた。いわゆる“身内”しかいない場ならともかく、客の前で“歳”や“歳さん”はないだろう? 勇の機嫌が良いのはそれ自体悪いことではないが、だからといってうわついてけじめ
[#「けじめ」に傍点]を忘れてもらっては困る――歳三の気持ちが伝わったのか、勇はちょっとバツの悪そうな笑みを見せ、
「まあ、座れ。紹介するのに、今、土方君
[#「土方君」に傍点]を呼ぼうと思っていた」
と言った。歳三は目許
《めもと》を緩めて笑うと、下座に正座した。そして、改めて、勇と話していた先客を見やった。
仙台平
《せんだいひら》の袴
《はかま》に黒羽二重
《くろはぶたえ》の紋付きといういでたち
[#「いでたち」に傍点]で端座していたその男は、もう最前からずっと歳三を見ていたらしい。目が合うと、かすかな笑みを含んで黙礼してきた。
(この男……)
黙礼を返しながら、歳三は我知らず唇を引き締めた。
(何処かで……会ったことがある……?)
初対面の筈なのに……歳三は裡にざわめくものを覚えた。目に映るその男は、一瞥
《いちべつ》した瞬間思わず息を呑んでしまったほどに端麗な顔立ちをしている。涼やかな切れ長の目、すっと通
《とお》った鼻筋。やや小さめの薄い唇の鮮やかなまでの紅
《あか》が、色白の肌に映えて美しい。貴公子顔、という奴だろうか。歳三自身も人からは男前だの美男だの言われる男なのだが、この男の隣
《となり》に並べられると、多分、野暮ったいとまでは行かないにせよ、随分と土臭く粗削
《あらけず》りな印象になってしまうような気がする……。
歳三がそんなことを考えている間に、勇は歳三を相手に紹介した。伊東
《いとう》先生、と勇から呼びかけられた相手に一礼しながら、歳三は何故か口中に涌
《わ》く鉄
《くろがね》をしゃぶったような味に、顔をしかめそうになった。
(一体何だってんだ……)
伊東甲子太郎
《いとう かしたろう》――そう紹介された男は、今度、門弟らを引き連れて新選組に加盟したのだという。元の名を鈴木大蔵
《すずき おおくら》といい、初め神道無念流
《しんとうむねんりゅう》、後に江戸へ出て北辰一刀流
《ほくしんいっとうりゅう》を学び、その道場主に見込まれて婿養子
《むこようし》となり、伊東姓を名乗って道場を継いでいたのだが、旧知の藤堂平助
《とうどう へいすけ》――彼は勇よりひと足先に江戸へ下って隊士の募集活動をしていたのだ――に説かれて加入を決意、それを機に今年が甲子
《きのえね》の年であることから名を甲子太郎と改め、道場を畳
《たた》んで上洛してきたらしい。
「近藤先生から色々とお噂
《うわさ》は伺
《うかが》っています。お会いするのを楽しみにしながら参りましたよ。以後どうぞ宜
《よろ》しく」
涼しげな声に「こちらこそ……」と頭を下げながら、ふっと歳三は、今耳にした甲子太郎の言葉に、何かしら心の奥の琴線に触
《ふ》れる響きを覚えた。不思議な懐かしさが動いた。それまではどうにも良からぬざわめきばかりに波立っていた胸裡
《きょうり》に涌いたその懐かしさは意外でさえあったが、涌いたものは仕方ない。
だが、初対面の相手の言葉、それも言葉の中身ではなく言葉全体そのものに、何故こんな奇妙な懐かしさを覚えるのか……
(……ああ、そうか……)
答を見出
《みいだ》して、歳三はほろ苦い思いを抱
《いだ》いた。
そして、口を開いた。
「……失礼ながら、お生まれは常陸
《ひたち》の方
《ほう》ではありませんか」
甲子太郎はちょっと驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな笑みを含んで頷いた。
「ええ……訛
《なま》りが、ありますか」
応じる短い言葉さえも、文節
|毎
《ごと》に微妙に尻上がりに響く。
「少し」
とだけ歳三は呟き、一瞬だが目を伏せた。忘れ得ぬ男のまなざしが、その瞼
《まぶた》の裏をよぎっていった。
(……それはともかく、こいつはちいっと、危ねえんじゃねえか?)
国許
《くにもと》にいる頃から剣術修行のかたわら学問にも打ち込んでいた――と、さっき勇から聞かされた気がするが、とすると当然、修めている学問は水戸学
《みとがく》である。国学、それも、過激な尊王攘夷
《そんのうじょうい》思想に裏打ちされた一学派である。新選組の預かり主である会津藩がかつて芹沢鴨らの排除を内命したのも、ひとつには、とかく幕府の存在を蔑
《ないがし》ろにする水戸学派色を一掃したいという意図
《いと》があったからだとも言われている。
(……あんな真似
《まね》までして……あんな思いまでして排除した“水戸っぽ”を、また新選組に持ち込もうってのか、あんたは……)
先生、先生と嬉しそうに甲子太郎に話しかける勇を見ながら、歳三は、胸中にわだかまる苦い思いをどうすることも出来なかった。
――「伊東甲子太郎加盟」より
いやー、あっはっはー。
いよいよ、伊東さん御登場であーるー(笑)。
この作品一番の“こんな人ぢゃなかった筈[#ひとつ汗たらりマーク]”な人物。なのに、本作品を読んだ方の殆どに「このイメージで固まっちゃいました[#白ハートマーク]」と言わしめてしまった人物[#ふたつ汗たらりマーク]
……だーかーらー、フィクションなんだってばー[#三つ汗飛散マーク] 信じちゃ駄目だってばー[#三つ汗飛散マーク]
と、作者が焦る理由は、追い追いわかっていただけるであろう(爆)。
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