大通りには様々な露店が並んでいた。ちょっとした菓子や食べ物を売っている店もあれば、玩具《おもちゃ》を売っている店もある。そうかと思うと、何だかよくわからない物を売っている店もあった。
 王女だった頃は“型破りの”とか“お転婆な”とか冠され、城下で祭となれば周囲の苦言を蹴り飛ばして町へ飛び出していたロココ・リナには、久し振りに出会ったこの賑わいを見逃す気などさらさら無かった。町へ出て一時間足らず、忽ちの内に彼女はこの祭の中に溶け込み、ずっと昔からこの町に住んでいたかのように、行き交う人々と声を掛け合って歩くまでになっていた。
「人懐こいというだけでは片付けられぬものを持っておるのう」
 共に歩く騎士イスファムが感心したように呟くと、タロパ族の戦士クニンガンも頷いた。
「持って生まれた才能かな」
「であろうな」
「もっとも、誰かに言わせれば単に“軽過ぎる”だけらしいけどね」
 クニンガンが笑う。
「あれは半ば羨んでいるのかもしれぬぞ。タンジェのことであろう? 彼はロココとは正反対だからのう。とことん人付き合いが苦手のようであるし」
「でも、あんまりそれを苦にしてないよ。独りの方が気楽だ、みたいなこと、言ってるし」
「と言うよりは、そう思いたいのであろう。本当にそうなら、とう[#「とう」に傍点]の昔に吾輩らのパーティーから抜け出しておろうよ。誰かと共に居るのも思いの外《ほか》に悪いものではないと知って、戸惑っておるのだろう」
「よくわかるなぁ、イスファム。年の功かな」
「クニンガン!」
「あはは、冗談だよ」
「ふたりとも、何ごちゃごちゃ言ってるのー? ねえねえっ、あっちでタコ焼き売ってるのよ、買いに行きましょうよ!」
 前を行くロココが振り返って、ふたりに声を掛ける。年頃の娘と言うよりは、子供である。ふたりはそれを好もしく眺め、彼女の後を追った。
 その時であった。
「あら。なに、あなた達も来たの?」
 ロココの上げた素っ頓狂な声に、イスファムとクニンガンは頭《こうべ》を巡らした。
「──あ」
 今し方宿の方から歩いてきたらしいアクラとタンジェの姿が、そこにあった。……気のせいか、どちらも妙に心がそこにない風情に見えた。特にアクラの方が、よりひどくぼんやりしているようである。彼らはロココの声で夢から醒めたような表情になり、その場で足を止めた。
「どうしたのよ、こんな所で」
「どうしたって……出てきたんだよ」
 些か間が悪そうに、タンジェのぶっきら棒な声が返ってくる。
「へー。さっきはあんな馬鹿騒ぎに付き合えるかなんて言ったくせに」
「……祭なんか関係ない。ギルドに挨拶に行くだけだ」
「無粋な奴ね、あんたも」
 ロココは肩を竦め、今度はアクラに目を転じた。
「アクラ、一緒に行きましょうよ。こーんなの放《ほ》っておいて」
「ああ……うん、だけど、わたし、ちょっとあっちの方に用があるから……有難う」
 アクラはやや曖昧に、そう言って笑った。
「つまんないの。駄目よ、こんなのと一緒に居たら、暗いのが伝染《うつ》っちゃうんだから」
 ロココはちょっと考えてから、クニンガンの方を見遣った。
「クニンガン、一緒に行ってあげない?」
「え?」
 驚いたように、クニンガンはロココを見返した。
「こんな暗いふたり組、町の空気から浮いちゃうわ。トラブル起こすと厄介だもん」
「トラブル?」
「そうよ。もしも酔っ払いに絡まれたらどーするのよ。『何だよぉ、おめぇら、お妃さまの御懐妊がお祝い出来ねぇってのかよぉ。いーい度胸じゃねぇかぁ』ってさ。挙句『さては敵国の回し者かぁ!?』なーんて疑られちゃ、あたし達がメーワクだわ」
 迫真の“酔っ払い演技”に、クニンガンとイスファムは思わず笑った。アクラは戸惑ったような顔をし、タンジェは天を仰いで何やら呟いた。よく言うぜ、とでも言ったのかもしれないが、少なくとも誰の耳にも届かなかった。
「わかった。でも、ロココはいいの?」
 笑いを治めてクニンガンが訊くと、ロココは裏のない笑顔で頷いた。
「いいわよ。イスファムも居てくれるし、第一あたしがトラブル起こすわけないでしょ」
 ほんとかよ、と言いたげな表情がタンジェの顔に過《よぎ》る。……賢明にも、口は開かなかったが。
「それじゃ、ぼくはアクラ達と行くよ。気を付けて」
「そちらこそな」
 イスファムとロココは三人が行ってしまうのを見送っていたが、やがてロココの方が肩を竦めた。
「どうしたのかしら。アクラ、変だったわね」
「ふむ……」
「何だか、あたしと[#「あたしと」に傍点]一緒に歩きたくないみたいだったわ。そうでなきゃ、クニンガンじゃなくてあたしが一緒に行っても良かったんだけど。多分、明るい人と余り一緒に居たくない心境だったのよ。でも、そーゆー時には、掛値なしクラい奴と一緒でも良くないわ」
「そういうものかのう?」
「そういうものよ。あたしだってたまには落ち込むから、わかるわ。とにかく、タンジェみたいな碌《ろく》に口も利かない、利いても悪い奴じゃ駄目」
「おぬしは厳しいな。しかし吾輩は、タンジェの方も少し様子が変だと見たが……」
「あら、あれはいつものことよ。もしイスファムの言う通りなら、なお悪いわ。アクラが余計落ち込んじゃうじゃないの。だけど、あたし、クニンガンなら、その辺、旨くやれると思うの」
「ふむ。それは吾輩も思う」
「でしょ? これでもあたし、結構周囲のこと考えてるのよ。誰かが言ってるよーな考えなしのぷっつん姫じゃないんだから」
 ロココは天晴れにも言い切ると、くるっと元の方へと向き直った。
「さっ、行きましょ。さっきから、タコ焼きがあたしを呼んでるわ」

 さて、こちらは「碌に口も利かない、利いても悪い」と扱《こ》き下ろされた長身の青年である。
 彼は一旦クニンガン達と別れ、ロクポリスの魔道師ギルドに赴いていた。初めて訪れたギルドであったが、挨拶は各地共通なので問題もなかった。
「出身は何処だね、小師《しょうし》
「パルモーンから来ました」
「ほう、それはまた随分と遠くから」
 茶色い目をした魔道師が、感心したようにその目を細めた。
「この祭騒ぎでは、宿探しも大変だったろう。泊まる所は見付かったかね? まだなら、狭いが此処を使うといい」
「お心い有難うございます。ですが、実はもう……“精霊の宿”という所です」
「それは幸運だったな。あそこはロクポリスで一番良心的な宿だ」
 タンジェは黙ってお茶を口に含んだ。少し温《ぬる》い。苦みが残った。彼はほっと息を洩らすと、窓の外を眺めた。表通りからは離れているので、賑わいは遠い。そのことに何となく安心感を覚えながら、彼は、カップを受け皿に戻した。
「……小師の尋ねた人物のことだが」
 相手の声に、タンジェは目を戻した。
「この町では聞かないのだ。有名なお方だから、いらっしゃれば当然ギルドの方にも噂は伝わってくるし……第一、御挨拶にお見えになる筈だ」
「……そうですか……」
 タンジェは目を伏せると、またカップを手にした。
「そう気を落とすことはない。……そうだ、此処ロクポリスの魔法大学には、対黒魔道関係の古い書物がかなり沢山所蔵されている。小師の役に立つかもしれない」
「……そうですね。御厚意に感謝します」
 お茶を飲み干して、彼は席を立った。クニンガン達との待ち合わせもあるので長居は出来なかったし、長居する必要も感じなかった。挨拶もそこそこにギルドを出た彼は、壁に背を預け、深い溜め息を洩らした。心が微かに軋んだ。
『何故……何故なのです……?』
 誰も居ない部屋の中で茫然と座り込み、我知らず幾度も同じ言葉を繰り返したあの日に、今、不意に引き戻された気がした。町の賑わいが今迄以上に恨めしく思われた。世界は、彼を置き去りにしていた。彼ひとり居なくとも、何の憂いもなく、支障もなく、動いていた……。
「……ジェ、タンジェってば」
 一瞬の昏《くら》く冷たい目眩《めまい》から我に返る。ぼんやりと呼び声の方に向けた目に、心配そうなアクラの顔が映った。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「あ? ああ……いつ来たんだ?」
「……ずっと此処に居たよ」
 アクラは微かに躊躇《ためら》った後でそう答える。それじゃ、別れた後、何処にも行ってなかったのか、確か用事があるとか言ってなかったか─タンジェは、脳裡を過《よぎ》った全ての言葉を呑み込んだ。頭をひと振りし、不安顔のアクラとクニンガンの間に入って、口許を笑いの形に曲げてみせる。
「じゃあ、戻るか」
「……いいよ」
 結局自分は何処にも行かなかったアクラが、クニンガンの目を少し気にしながら頷く。しかし、宿を出てきた時より遙かに顔は明るい。多分、此処で待っている間に、クニンガンと他愛ない世間話か何かをしていたのだろう……タンジェはそれを横目で確かめると、ふっと息をついた。
 表通りに戻ると、活気がどっと波を打って押し寄せてきた。子供たちが「手品! 手品だって!」とはしゃぎながら、目の前を走り抜けてゆく。三人は、その流れに逆らうように、宿へ向けて歩き始めた。
「そこの色黒のお嬢さん……」
 横合から、声が掛かった。最初は誰も気に留《と》めず聞き流したが、二度三度と同じような呼び掛けがあり、だが誰が反応するでもなし、そこでようやく、行き過ぎかけた三名は不思議そうに声の方を顧みた。声の主は、ひとりの色黒な女性であった。少し縁の擦り切れた緑色のクロスを小さなテーブルの上に掛け、磨き上げられた小さな水晶球をその上に据え、その水晶球の向こうから、彼女は三人を──いや、アクラを見つめていた。
「……わたしですか?」
 少し躊躇った後で、アクラは彼女に声を掛ける。相手は頷いた。
「何か、用ですか」
「あなた、今、恋をしてらっしゃるわね?」
 突然に──
 何の前置きもなく、静かに発せられた言葉に、アクラはサッと顔を強張《こわば》らせた。
「……何を……」
「わたくしもアクラナ族の者」
 女性は、黒い瞳をじっとアクラの目に当て、動かさなかった。
「あなたの変化は、手に取るようにわかります。相手は、あなたの身近な人」
「馬鹿な!」
 アクラは思わず大声を上げ、相手を睨み付けた。
「で、出鱈目を言うな!」
 女占い師は、穏やかにアクラを見つめ返し、何も言わなかった。
 アクラはくるりと相手に背を向けると、恐ろしく厳しい表情をそのままに、大股に歩き出した。クニンガンが慌てて後を追う。三歩遅れて、タンジェも続いた。
「……ねえ、タンジェ」
 クニンガンはアクラの後を追いながら、タンジェを仰いだ。
「さっきの……」
 言いかけて、彼はタンジェの無言の制止の目に出会った。彼は咄嗟に、言おうとした言葉を呑み込み、別の言葉に掏り替えた。
「おれのこと、かなっ」
 アクラが足を止め、振り返る。
 すかさず、タンジェが応じた。
「いや。俺だな」
 アクラは、何と反応していいかわからないといった表情でふたりの青年を見つめ──やがて、小さく、笑った。
「大体、お嬢さんはないよなあ」
 クニンガンはアクラの気分が些少なりとも解《ほぐ》れたらしいことを見て取り、わざとらしくならないようにクスクスと笑いながら、そう言った。
「まだ全然決まってない相手を捉まえてさ。ね、タンジェ」
「ああ」
「あんなの、気にするなよ。アクラのこと何もわかっちゃいないんだから」
「気にしやしないよ」
 アクラは肩を竦めた。
「好い加減なこと言っただけさ。一々に受けたって仕方ない」
 さらりと言い流すと、彼は、また前に向き直った。
 クニンガンはホッと息をつくと、再びタンジェの方を物問いたげに見上げた。……だが、タンジェの目は限りなく無表情に、全ての問を拒んでいた。クニンガンは諦め、歩き始めたアクラの後を追い掛けた。

「……それでねー、そのオジサン、『お嬢ちゃん可愛いからタコ焼きひとつおまけしちゃおう!』って言ってくれたのよ。正直な人って、気持ちいいわよね」
「そういうのは“正直”とは表現しない気がするんですけど……」
 夕刻になって宿に戻ってきたロココ・リナが“お土産”と称して買って帰ってきたタコ焼きを有難く摘まみながら、青年植物学者は首をかしげる。
「もぉー、メルカナート! 堅いこと言わないの! 折角買ってきたんだから、どんどん食べて」
「うん、有難う。だけど、もうすぐ夕食の時間ですし……そう言えば、シフォロン達の所には持っていったんですか、これ」
「今からよ。アクラ達、帰ってきてる?」
「さあ……僕とログナーはずっとこの部屋に居ましたから……アクラは宿に残っていたんじゃないですか?」
「ううん、後から出たみたい。町で会ったもん。あんまり元気なかったから、クニンガン譲って別れたっ切りよ。ログナーも知らない?」
 ロココに訊かれて、ノートをめくっていた考古学者は顔を上げた。
「いや……気付かなかったがな。しかし、元気がないとは、またどうして」
「それがわからないのよね」
 ロココは、タコ焼きをポンと口に放り込んだ。
「とにかくおかしかったの。何かあったのかしら。とにかく、これ、持っていってみるわ。ログナーも食べてね。あんまり根詰めてると、髪が薄くなっちゃうわよ。適当に息抜きしたら?」
「ああ、有難う」
「それじゃまた夕食の時にね。あ、イスファム、付いてきてくれて有難う」
「いえいえ殿下、僕《やつがれ》で宜しければ、いつなりと」
 イスファムの茶目っ気たっぷりの答に、ロココはパッと目を円くし、次いで「もぉ。やめてってばー」と笑うと、またね、と手を振りなから部屋を出ていった。
「……あの、以前から不思議だったんですけど」
 扉が閉まると、メルカナートが小首をかしげて口を開いた。
「イスファムは騎士ですよね……どうして、ロココに対しては敬語を使わないんですか? 他の、王族と名の付く方々には、きちんと敬語を使ってますよね?」
「ははは……それには仔細があるのだ」
 イスファムは、ぽんと膝を叩いて笑った。
「仔細?」
「実に単純だ。彼女が、他人行儀で嫌だから普通に話せと強制したのだ。今ではもう慣れたが、初めの頃は苦労したぞ。しかし、王女殿下ともあろうお方の御意に背き奉る[#「王女殿下ともあろうお方の御意に背き奉る」に傍点]わけにもゆかなんだのでな」
 悪戯っぽくそんな風に言いながら、彼は肩を竦めた。
「そうだったんですか」
「ふむ、彼女なら確かに言いそうだな」
 ログナーも微笑を浮かべた。
「王女にしては少し……いや、かなり型破りなところがあるからな」
「最初は、吾輩ばかりでなく、クニンガンでさえ面食らっておったものだ」
「そう言えば、三人で一緒に旅をしてカナルネアまで来たんですよね? 何処で彼女と知り合ったんですか?」
「この間アルリナの魔法大学へ向かう時に通《とお》ったノルムースの森があるであろう? あの森の、一本杉側の入口の辺りだ。爾来《じらい》、道を共にしておる」
「何か、きっかけでもあったのかね」
 今度はログナーが訊いたが、イスファムは只
「吾輩は、主を亡くしたとは言え、騎士だからな」
 と応じただけであった。



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