土方君が私を小屋の外へ呼び出したのは、その日の夜、兵頭君が寝入ってしまってから暫く経ってからであった。
「……起こして済まねェ」
 まずそう謝られ、
「あんたに話と……頼みがある」
 と、やや思い詰めたような声で言われては、そっぽを向いて狸寝入りするわけにも行かなかった。
 小屋の外壁を背凭れに座り込んだ土方君は、南の方に回ってきている十三日目の月を梢の間に見上げる風にして、私が左隣に座るのを待ってから、口を開いた。
「コンミン、あんた、平助のこと、好きか」
 いきなりの問いかけに、私はまじろぎ、相手の横顔を眺めた。
「俺は、好きだ。でも、念縁みでじゃねえ。……今日、あんなとこを見られたから、あんたに誤解されたかもしれねえけど、俺の方には、その気はねえ」
 ……おや。
 そんな弁解をする為に、わざわざ私を起こしたのだろうか。
 不快感とは異なる、妙に心が動き惑うような、そんな気分を覚える。
 土方君が兵頭君に奇妙な好意を持っていることは、傍から見ていて容易に察せられていた。仮にも自分を殺した相手なのに何故、と最初ったが、じきに、だからこそ好意的なのだ、と理解するに到った。土方君は、自身私に話していたが、兵頭君が大胆にも自分の前に面《めん》を晒して正面から狙撃した、というその一点で既に、彼を許していた。恨むどころか、気持ちのいい奴だと感じてさえいた。その相手が、思いがけず身近に現われた。共に生活を始めると、かつての同志、気持ちの良い一本気な好青年だった藤堂平助君を思い出させるようなところもある人間だということが見えてきた。考え方が合わなくなって道を異にし、結局は死に到らしめてしまったが、本心では出来るなら死なせたくなかっただろう藤堂君への追憶――それが、兵頭君への好意に拍車をかけただろうことは、想像に難くない。
 一方、兵頭君は、当然ながら、最初は、土方君に非好意的だった。ところが、身近で接するにつれて“顔は似ているが土方とはまるで違う人間だ”と思い始めたらしく、特に此処何日かで格段に態度が軟化してきた(私が土方君の柴刈りに付いていかせた後からだから、そこで何かあったのかもしれない)。土方君当人の前ではまだ意地があってか怖い顔を作ろうとしているが、土方君の目が離れると、戸惑いがちにではあるが、目で姿を追うようになった。その視線が私には、好い男が気になり始めた初《うぶ》な娘の目のように感じられてならなかったのだが――その見立てはどうやら正鵠を得ていたらしい、と本日判明したところである。
 しかし、他人事面して斯く述べてきた私も、そろそろ己の気持ちを自覚せねばなるまい。
 白状しよう。
 私は今日、土方君に兵頭君が抱きついた場面を目撃した時、不覚にも、血の気が一気に引く感覚と共に凍りつき、暫時何も考えられなくなってしまったのだ。己の受けた衝撃の余りの大きさに、じーんという耳鳴り以外何も聞けず、ふたりの姿以外何も見えず、ただ茫然と立ち尽くしていたのだ。
 何ゆえ自分が此処まで衝撃を覚えねばならないのか、と、ぼんやり訝ったら、ようやく呪縛が解けた。冷たい汗と、手の痺れを感じた。
 抱きついたのは兵頭君の方だ。それは見ていた。が、土方君の方はどう受け止めているのか。すがりつかれて倒されても引き寄せたりはしようとしないが、かと言って払いのけようともしない。一体どういうつもりなのか、態度をハッキリしろ、という、焦りとも憤りとも異なるが同じくらい激しく心が波立つ思いに駆られたところで、私はドキッとなった。うろたえた。咄嗟に認めたくない感情が沸いたが、否定は出来なかった。私は、目の前の光景に嫉妬を覚えている……
「……コンミン?」
 怪訝そうな土方君の呼びかけで、我に返る。
「聞いてくれてんのか?」
「兵頭君に言い寄られてもなびく[#「なびく」に傍点]気はないから心配するな、と言っているのだろう?」
 知らず、声に険が混じった。土方君が、気が差したような表情で私の顔を窺う。
「……怒ってんのか?」
「私が? どうして」
「いや……その……」
 口ごもる土方君から、私は目を背けた。
「私は別に怒ってなどいないよ。兵頭君は好青年だ。危ういところもあるけれどね。君が惹かれても何の不思議もない」
「いや、俺は、あんたが気を悪くしたんじゃねえかって……」
「どうして私が」
「……平助の奴に、気があるんじゃねえのか?」
 何だって?
 私は面食らった。私が、兵頭君に気があるのではないかって?
 一体どうしてそんなことに……
 ……哦《ああ》、我明白了《わかった》
 思わず笑い出しそうになった。そうか。土方君は、私が兵頭君に親切にしているのを見て――親切過ぎると感じたのかもしれないが――私が兵頭君に念縁絡みの好意を持っているものと勘違いしているのだ。何だって、そんな突拍子もない誤解をしてくれるのだろう。いや、私だって、土方君が兵頭君に迫られているのを見て、彼の方もまんざらではないのでは、と、安からぬ気分に苛まれていた。とんでもない思い込みをしていたのは、私も同じだ。
「……私は、兵頭君を抱いてみたいと思ったことはないよ」
 そっぽを向いたまま、私は言葉を選んだ。
「長く生きてきて、同性に恋をする者を“取り込んだ”こともあるし、私自身も生まれ変わった頃に比べて随分さばけた[#「さばけた」に傍点]嗜好を持つようになっているから、同性と閨で懇ろになることそれ自体には抵抗はない。けれど、誰でも彼でも構わないというわけではないよ。……兵頭君にその道[#「その道」に傍点]の嗜好があるらしいことは薄々察していたが、だから粉をかけてみようか、という気になるものでもない。私はもっと……そうだね、今は、もっと年を重ねている男の方が好みだ」
「若くねェ方がいいってのか?」
「今の[#「今の」に傍点]好みはね。若者よりももう少し性格が練れていて、それでいて言動が年寄り臭くない程度の年齢の相手が、丁度好ましい。……とはいえ、私に比べれば大抵の老人は若者だけど」
「そりゃ、あんたに比べりゃなァ……」
 土方君が息をつく。声に、何処か安堵したような色が窺えた。
「三百年以上生きてるってんじゃ、どんな爺さん婆さんも子供だなァ……平助や俺なんざ、乳臭い赤ん坊にしか見えねえよな……」
 ほんの少し声が沈み、言葉が絶えた。
 私はそっぽを向いたまま、じっと考えていた。土方君は、私が兵頭君に気があると誤解して、自分は兵頭君と念縁を結ぶ気はないからとわざわざ弁解した。私が気を悪くしたのではとか、怒っているのではとか、そんなことばかりひどく気に病んでいた。そして、私に兵頭君への念縁絡みの好意はないと知ると、安堵したようだった。
 これらの事柄を、どう解釈すれば良いのだろう。
 弁解、というのは、相手に悪く思われたくない意識の発露だ。相手の勘気を気に病むのも、相手から嫌われたくない気持ちがあってのことだ。私が兵頭君に気があるわけではないとわかってホッとしたのは……兵頭君に対して衆道の好意は抱《いだ》いていない、と明言したからには、恋敵がいなくなった安堵ではあるまい。
 ……つまり、土方君は、私から悪く思われたくないし、嫌われたくないし、加えて私に、兵頭君へ色目を向けないでほしい――決して自分が兵頭君に気があるからではなく――と、そういう気持ちでいるということになる。
 流石に私も、土方君は私に惚れているのだ、などと、そこまで我が田に水を引くつもりはない。彼に衆道の嗜好があるかどうかは知らないし、色目を使われた覚えもないし、思わせ振りな言動を示されたこともない。しかし、彼が私に惹かれているらしいことは察していた。蓋し彼は、私に好意を持つようになった己を自分でハッキリと自覚し、その好意を認め、半歩前に踏み出してきたのではあるまいか。
 苦笑いしたくなったことに、そこまで考えが行ってしまうと、急に心が軽くなった。浮き立った――と表現してもいいくらいであった。
 この年齢になってもまだ誰かに恋して心ときめくことが出来るとは、いいやら悪いやら。
「……あのな、コンミン。あんたが平助に気がねえってのは少しだけ誤算だったけど、それでもあんたの方が向いてると思うから頼みてェことが、あるンだけど」
 私のときめきなぞ知る由もなく、土方君は沈黙を抜け出す。
「頼み? 兵頭君に、君への懸想を諦めるよう諭してほしいの?」
「んなこと、他人《ひと》に頼まねェよ。……そうじゃなくて、あいつが、俺のことを姉さんの敵《かたき》だなんて思い込んでる理由を、訊いてほしいンだ。一体何がどうしてどうなってそういう話になってるのか、聞き出してもらいてェんだよ」
「姉君の敵《かたき》? そんな話があったのか」
「ああ。どうもよくわからなくて……居心地が悪ィ。そりゃ俺は女ァ何人も泣かせてきたって自覚はあるが、敵《かたき》だ何だって弟から命付け狙われるほどの非道を働いた覚えはねえ。せいぜいが、振った別れたの話だ。……振られたり捨てられたりした方には大きいのかもしれねえけど」
 土方君は嘆息を洩らした。
「とにかく、訳がわからねェのが一番嫌だ。……けど、俺から直接は、流石に訊きにくい。だから、あんたなら平助も心を開き易いだろうし、あんたから、俺を追っかける訳を教えろとか何とかって、聞き出してほしい」
「わかったよ。心がけておこう。明日にでも、機会を作って」
 私が首を戻して頷くと、土方君はホッとしたような顔になって頭を下げた。
「有難う。済まねェ」
「礼は早いよ。まだ、聞き出してもいないのだから。――話と頼みはそれだけ?」
「え? あ、ああ……うん……それだけだ。……起こしちまって、悪かった」
 それだけ、と言った割には、何か言い足りない様子で視線を落とす。私は暫く待ってみたが、相手はじっと自分の思いと向かい合ってでもいるのか、なかなか口を開かない。
 だが、私が諦めて腰を上げようとすると、ハッと身じろいで、引き留めたそうな顔を上げた。
「……どうしたの?」
 穏やかに尋ねると、土方君は一瞬、怯えに似た色をよぎらせた。が、ぶるんと一回頭を振り、その色を追い払った後で、思い切ったように唇を動かした。
「あんた――俺のこと、嫌いか」



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