二〇〇三年五月十一日午前十一時四〇分頃、私は、ウェブ上で知り合って親しくさせていただいている白牡丹
《はくぼたん》さんと共に、東京都日野市の京王線高幡不動駅近くにある「幕末めし処 池田屋」に辿り着いていた。
……いや、正確には、店へと続く行列の最後尾にくっついたのであって、店へ入れたわけではなかったのだが。
実は、我々にとって、此処での昼食が、この日の第二にして最後の目的。
ちなみに、第一の目的は、一年の内でこの五月にのみ特別公開される、土方歳三
《ひじかた としぞう》の遺品である和泉守兼定
《いずみのかみかねさだ》の刀身
《とうしん》を拝観することであった。
そこで、わざわざ拝観の為に上京された白牡丹さんと、いつもの多摩モノレール立川南駅で待ち合わせ……この特別な日に御挨拶
《ごあいさつ》なしでは済まされぬと、朝九時
|頃
《ごろ》に石田寺
《せきでんじ》へ赴
《おもむ》いて土方さんのお墓参りをし、とうかん森を回り……朝十時から特別開館予定となっていた土方歳三資料館へ一番乗りで馳
《は》せ参じて列を作り(いの一番の先頭は白牡丹さんにお譲りしたが)、有難く拝ませていただいたのである。
御存じない方の為に記しておくと、この「特別な日」……五月十一日は、歳三忌
《としぞうき》である。私自身は、旧暦の頃の日付であって季節がひと月ずれているこの日を命日とは思えないでいるので、明治二年五月十一日に西暦で“その日”であった六月二十日に心の中で両手を合わせているのだが、それはそれ、行事は行事として受け入れている。今年の歳三忌は日曜日と重なった為、行事としての“歳三忌”も、この日に開催されていた。
が、その日の内に関西へお戻りになる白牡丹さんと御一緒していること、何より私が(そして多分、白牡丹さんも)そういった行事が苦手ということがあり、資料館を見学させていただいた後は、近くの浅川
《あさかわ》の河川敷
《かせんじき》をふらふらし、それから、お昼を頂くには丁度良い頃合かと、のこのこ歩いて池田屋さんへ向かったのであった。
……が、あーまーかった。
何しろ“特別な日”である。しかも、知る人ぞ知る池田屋さんである。我々が辿り着いた時には、ビルの二階のお店へ通じる階段はおろか、一階の車道際
《しゃどうぎわ》まで長蛇
《ちょうだ》の列。この後に更に色々な予定が控えている人なら、思わず「他所
《よそ》の店に行こうか……」となる光景。
しかし、この後は高幡不動へ御挨拶に行くぐらいしか予定のない我々は、さしたる躊躇
《ちゅうちょ》もなく、列の最後尾に付いた。何しろ、白牡丹さんには“土方歳三そば”の通常バージョンを食するという、そして私には“伊東甲子太郎丼
《いとう かしたろう どん》”を頂くという目的があったからだ。
伊東甲子太郎丼。
その存在を初めて知ったのは、白牡丹さんのサイトに掲載されたお写真で、であった。今年の正月に池田屋さんで土方歳三そばのお正月バージョンを食されたというエッセイの御本文に添えられていたお写真の中に、「伊東甲子太郎丼880円(豚肉生姜焼
《ぶたにくしょうがやき》丼)」という文字が見えたのだ。お馬鹿な野間は、「一体
|何故
《なぜ》何故、豚肉生姜焼き丼に、豚肉なんて聞いたら一番顔をしかめそうな伊東先生のお名前が冠
《かん》されてるの?」と激しく引っ掛かり、遂には「いつか絶対食べてみる!」と訳のわからない決意までし、今回の日野行きの話が出た時に、「では是非昼食は池田屋さんで!!」と強烈に頼み込んだのであった。
我々が列の後ろに付いて程なく、すぐ後ろに、如何
《いか》にも新選組ファンらしい買物をした後と思
《おぼ》しき女性三人グループが付き……あとはもう、どんどんぞろぞろ(苦笑)。私には確かに“人寄せ”のパワーがある(らしい)が、今日は多分“特別な日”だからであろう。
ビルの一階には、メニューが貼られていた。待っている人々は、この品書きを見て、あれがいい、これが美味
《おい》しそう、と楽しそうに話し合っている。白牡丹さんは早速デジタルカメラを向けておいでだったが、私はそこまで食べ物には執着がないので(……普段は)、特段撮影もせず、ただ、メニューの上に貼られている調理品のお写真を眺めていた。……いや、もっと正しく言えば、「何故
|山南
《やまなみ》さんが副長助勤?」とツッコミを入れながら(此処は、やはり総長とあるべきだろう)、“参謀”と書かれた紙が貼られている伊東甲子太郎丼のお写真に目を吸い寄せられていた。ふふー。あれが、噂
《うわさ》の豚肉生姜焼き丼、カッシー先生丼なのね……じゅる。
しかし、待つ待つ。白牡丹さんと御一緒だったから退屈もしなかったが、ひとりだったら少し焦
《じ》れていたかもしれない。何しろ階段が狭いので、マイパソを開いて「万年貸切部屋」でライブを始めるわけにも行かない(……と言いつつ、あの狭い場所で一回メールチェックをしたけれど(汗))。
それでも、のろのろと時々動く列に従って待つこと、およそ三十分。やっと、店の入口まで到達した。……ところが、そこから更に待つ待つ。うーん。……およ。新選組・幕末関係の書籍が書棚に並んでいる。おおっ! もりやまつる先生の『疾風迅雷
《しっぷうじんらい》』を開いて読んでいる人が!(笑) 一見女性ファンには取っ付きの悪い絵柄ながら、中身は抱腹絶倒で、ぶっ飛んでいて、それでいて現代社会への風刺
《ふうし》もたっぷりという快作である。……おんや。何だか、後ろのグループの方もおひとり、それを見て好意的に反応なさっている。単行本もお持ちのようで、連れの友人に向かって貸そうかと勧めていらっさる。……うーん、この方々、実は私、さっきから、ずーっと、気になってるんだけど。……拙
《せつ》サイト「千美生の里 Web版」の常連さんで、今日やはり日野を御友人方と訪問される旨
《むね》おっしゃっていたNさん……何か、後ろのお三方の内のおひとりの風体
《ふうてい》が、事前にメールで伺
《うかが》ってる外見的特徴と、妙に一致するんだけど……『疾風迅雷』がお勧め漫画、ってところも、甚
《はなは》だしく似てるんだけど(爆)……でも、伺っている御予定からすると、この時間に此処
《ここ》にいらっしゃる筈
《はず》がないしなあ……人違いだろうなあ……。
などと思っている間に、ふたり分の席が空く。……前々から待っておいでの六人グループの方々に先んじて、というのが申し訳ないが、これは仕方ない。が、六人掛けのテーブルでふたり連れふた組のグループと相席
《あいせき》となって間なしに、ひと組が食事を終えて席を立った。……ふっと後ろを見ると、別の六人掛けのテーブル、席が四つ空いている。おりょ。これは我々と残りのもうひと組があちらに移れば、六人グループさんが座れるではないか。
という訳で席を移って譲った我々、早速メニューを開いた。わくわく……ふたり共、もう頼むものは決まっている。店のお姉さんが注文取りにやってくる。白牡丹さん、土方歳三そばとあんみつ。そして私は……
……あれ?
メニューをめくるも、お目当ての名前がない。見落としたのか、と思ってまた頭から見直すも、ない。白牡丹さんも見てくださるが、やっぱりない。
「あのー、参謀さん……いないんですか?」
ちょいと捻
《ひね》って訊
《き》いてみたが、店のお姉さん、生憎
《あいにく》「参謀」という呼び方ではわからなかったらしい。え、と怪訝
《けげん》そうな顔で首をかしげる。
「……豚肉生姜焼き丼って、ありませんでした?」
そのお名前を口に出来ない私、メニュー名ではなく料理名で尋
《たず》ねる。と、横合から白牡丹さんがずばりと、「伊東甲子太郎丼、ないんですか?」……ううう、有難う白牡丹さん(爆)。
が、店のお姉さんのお答は、
「あー、済みませんー、豚肉丼、なくなったんです。御免なさいー」
え……
えええええっ!?
な、なくなったって……どういうこと!?
品切れ……いや、この手元のメニューに載ってないってことは……
「な……なくなったって、メニューからなくなったんですか!?」
私は、思わず、悲鳴に近い声を発してしまっていた。
店の外のメニューにも、店の中の壁に貼られているメニューにも、伊東甲子太郎丼は堂々と掲げられている。
なのに、なくなっただってェ!?
と、先程我々と一緒に席を移ったおふたりの内のひとりが、吃驚
《びっくり》したような声をあげた。
「ええっ、私、さっき頼んだんですけど?」
……どうやら、我々が席に着いた時にはもう注文し終えていた彼女達の一方が、伊東甲子太郎丼を注文していたらしい。店のお姉さんが確認に走り、年配の女店員さんが現われ、しばし遣り取り。……聞いていると、品切れになったわけではなく、どうやら、そもそも店のメニューとして存在しなくなってしまったらしい。
そ、そんなあ……
その為だけに、伊東甲子太郎丼を食べる為だけに
[#「だけに」に傍点]、此処へ来たのに……
ショックの余り、代わりのメニューが決まらない。ううう、しくしくしく、土方歳三丼は食べられないんだよなあ、鮭は好きだけどイクラが駄目だから……
ようやく気を取り直し、白牡丹さんと同じ土方歳三そば(但し葱
《ねぎ》抜き)を注文。それだけでは寂しいからと、歳三・おゆきセット(抹茶プリンとアイスクリームのセット)を注文。……おゆきさん、というのは、某有名小説に登場する架空の女性。あの作品はどうしても肌に合わないが、彼女のことは結構好きだ。けど、他の女性名メニューが“おりょう・幾松
《いくまつ》”と実在の女性なのに、何故これだけ架空の女性なんだろう。ぶつぶつ。同じ実在つながりで、許婚
《いいなずけ》のおことさんにしてほしいよう。ぶつぶつ。……だあああっ、「さいぞう」って誰だよ「さいぞう」ってえええっっ。
逃
《のが》した魚は大きいと言うが、食べたくても食べられない幻のメニューは、殊更悔しく思えるものである。
だからという訳ではないのだが、メニュー名の付け方や、注文を取ったお姉さんが「さいぞう・おゆきセットですね」と復唱したことにまで涙の出てしまう野間。

……ううう、もしかしたら、土方さんから「コラてめェ、こんな日にこんな場所で伊東伊東なんて浮かれてんじゃねえよ馬鹿野郎ッ(笑)」といぢめられているのかも……
反省しながら食べた土方歳三そば、なかなか美味であった。麺
《めん》の硬さも程よく、出汁
《だし》も悪くない。歳三・おゆきセットも、食べてみたらアイスクリームじゃなくてフローズンヨーグルトだったが(笑)、私がフローズンヨーグルト好きなので、全く問題なかった。……ふう。美味しかった……。
しかし、何で、伊東甲子太郎丼、なくなっちゃったんだろう……
悲しいなあ……ああ、伊東先生ってば、こんな所でまで抹殺
《まっさつ》されなくても宜しかろうに……
※この出来事の後日譚
《ごじつたん》「参謀殿に逢いたくて」をアップしました。そちらも是非御覧くださいませ(汗)。
── この「※」部分のみ、二〇〇三年十一月九日記す ──
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