一九九九年九月十九日未明、殆ど衝動的に函館行きを決意した。
 次の週末には『まなざし』第五部分の取材を兼ねた(?)宇都宮行きを予定し、経済的にはちょーっとばかり苦しかったにも拘らず、である。
 その理由は、唯ひとつ。
 
 函館山に登って、昼間の[#「昼間の」に傍点]眺望をこの目で実際に確かめたい!
 
 函館山から見下ろす夜景の美しさは、香港・ナポリと並ぶ“世界三大夜景”の一として夙に有名だが、私が見たいと思ったのは、日中見下ろす函館の街。
 何故かと言うと、只今執筆中の小説──『月石《げっせき》の民』シリーズの第一作となる筈の作品『歳三《おれ》の場合』(仮)──の中で主人公が見下ろすことになる風景──時代は百三十年ほど遡るが──だから。
 実際に見ないと書けない、というものでもないのだろうが(現に、写真は探せば見付かる)、風景を構成する光や風、その匂いや音……などは、実際その場に立った方が、百倍想像し易くなる(わかる、とは書かない。小説そのものの舞台となる場、明治二年旧暦五月下旬の箱館山山中には、どうあがいたって立てないから……)。縦《よ》し天気が悪かったとしても、それはそれで面白い。
 と、いう訳で、その日の午後『るるぶ函館 道南』と『マップルマガジン函館 大沼・恵山・松前』を買ってきて予定を立て、翌九月二十日の夜、東京駅八重洲口から、青森駅行き二一時三〇分発の夜行バス“ラ・フォーレ1号”に乗り込んだのであった。
 
 ちょいと寝にくい夜行バスから降り立ち、初めて青森の地を踏んだのは、到着予定時刻よりも随分と早い、翌朝六時四〇分頃。天気は曇。流石に冷える。駅前の土鳩達も、ぶくぶくに膨れている。が、冷房の冷えとはまるで異なる、身の引き締まるような心地さだ。
 バスの中で食したおにぎり二個だけでは心許なかったので、駅前でわかめきつねそばネギ抜き(笑)を一杯引っかけて、それから、七時半発の函館行き特急“はつかり41号”に乗った。平日の朝とはいえ、自由席はガラガラ。うっかり指定券買わなくて良かったなあ……と思いつつ、一番前の車両の、前から二番目の座席、進行方向右の窓側に腰を落ち着ける。
 この文章の草稿をノートに書き始めながら、待つことしばし……ヘッドフォンステレオで聴いていたまっさん(さだまさし)テープが『津軽』のイントロを奏で始めた瞬間、不意に列車が動き出し、一路終着函館までの、約二時間の移動が始まった。
 走り始めてからわかったけど、何の気なしに座った右の窓側、途中の要所要所で海の見える“当たり”の側だった。うーん、知らないで座ったから、得した気分だ。
 ……にしても、流石、青函トンネルは長い。全長五三キロメートル以上ってことは、マラソン分走ってもまだ結構お釣りが来るってこと。間に駅がふたつあるのも、宜なる哉……。
 トンネルの中では、何度も繰り返して『夢の吹く頃』を聴き続け、吉岡海底駅を過ぎてから、テープを『燃えよ剣』サントラセレクトに入れ替え。
 さあ、いつでも来い、函館!
 ……って、向かってんのはこちらか(笑)。
 
 青函トンネルを抜けると、薄日の射す曇り空。時折小雨のぱらついていた青森よりは、天気が好さそうである。前日までこの辺に停滞していた秋雨前線は、予報通り南下したらしい。嫌われていないのかな、と、一寸ホッとする。
 列車は暫く海岸線沿いを走る。対岸に見えるのが函館、あれが目指す函館山……などと浸りつつ、嬉しげに途中の停車駅(木古内《きこない》と五稜郭[#白抜きハートマーク])の看板まで撮るお馬鹿な私を文句も言わずに運んでくれた特急列車は、九時二二分、定刻通り、函館駅へ滑り込んだ。
 降りる前に荷物からトレーナーを引っ張り出して重ね着し、リュックとベルトポーチのみの身軽な姿で、ホームに降り立つ。……寒い! 早朝の青森より寒いじゃないか。トレーナーを持参してきて正解だったよな、と思いながら、駅前に出る。
 
 ……百三十年ノ昔、土方歳三ガ生涯最後ノ時ヲ過ゴシタ土地。
 
 今自分の目の前にあるのは往時の面影すら残っていない町並──と思うせいか、以前日野に出向いた時のようなドキドキはない。むしろ、何か切ないような、不思議に穏やかな気持ちが寄せてくる。
 ひとつ深呼吸をして、私は、函館山とは反対方向へ歩き出した。
 此処へ来たのは確かに函館山登山の為だが、そこへ向かうより前に、いや、何処へ向かうよりも前に、是非とも行っておかねばならない場所があったからだ。
 土方歳三最期の地碑。
 そう……仮にも土方歳三好きの末席を穢しているからには、御挨拶を忘れてはならない。
 
 函館駅前から左手へ、国道5号線沿いに少し歩き、緑地帯に出会ったところで信号を渡る。そして、右手側に見える某コンビニの方へちょっと歩いて、すぐの角を左に、緑地帯の続いている広い道の方へと入る。……なに!? 何だ!? 車道を挟んで向かい側に、“ザ・ひじかたパーキング”なる駐車場の看板を発見し、大ウケ。いや、本当に土方というお人が経営しておいでなのなら構わないんだけど……あからさまに怪しいよねェ〜、碑の御近所だし……。
 笑いをこらえながら行く手に目を転じると、少し先に、五稜郭を象った小さな青い看板が掲げられているのが見えた。
 ははん。
 ピンと来た。
 近寄ってゆくと、やはり“土方歳三最期の地碑”と書かれている。結構ナイスなセンスの看板だ。何より、彼のファンならば、遠くからひと目見ただけで(文字が読めなくても)それとわかる。
 と、賑やかな音楽と子供の歓声。
 総合福祉センターバス停前の若松緑地、彼の最期の地を示す碑が一画に佇んでいるその小さな緑地では、丁度、何処かの保育園のミニ運動会の真っ最中だった。うるさいなあ、とは不思議に思わず、ゆっくりと碑の前へ。まずは頭を下げ、御挨拶。それからおもむろに跪き、合掌、瞑目。
 その間も、音楽と、スピーカー越しの保育園の先生の声、子供達のはしゃぎ回る声は続く。碑の前から少し間を隔てた場所が、遊具を備えた小広場になっているようだ。恐らく、普段から子供達の遊び場になっているだろう。寂しくもなく、しかし少し距離がある為か、奇妙にうるさくもない。正確には此処ではなくともこの辺りで亡くなられた土方さん、此処は良い場所だと憩っておいでだろうか。
 ……などと思いに耽りながら、傍らのベンチで少し休み、それから、すぐ側にある小さな池のほとりを散策する。歳三櫻と書かれた札の付いた細い若桜が、少し気にかかる。何故“歳三櫻”なんだろう? 曰く来歴が知りたい気もしたが、そっとしておく方が奥ゆかしいか。
 平日の午前中だったせいか、その場を離れるまでのかなりの間に、訪れたのはひと組のカップルだけであった。……うひょー[#ひとつ汗たらりマーク] お兄さん、写真撮りまくりですねー[#ふたつ汗たらりマーク] 三脚付きの本格カメラ持参ですか……あら〜[#ひとつ汗たらりマーク] 祠(?)の中の土方さんのお写真を真っ正面から撮っているー……[#ふたつ汗たらりマーク]
 私にはとても出来ない真似を延々としていたお兄さんとは対照的に、ベンチで延々と『るるぶ函館』を広げていたお姉さん。もしかして、いや、もしかしなくても、彼のことをお好きなのは、お兄さんの方だったのかい?
 
 御挨拶を済ませた後で、いよいよ函館山へ。別段市電代をケチろうなどという存念はなかったのだが、市中から歩いてどのくらいかかるのかを体感したくて、敢えて徒歩で登山口を目指した。
 平日の日中とはいえ、車も人も少ない。だが、寂しいとは思わない。東京の喧騒に不快感を覚えることもある身には、却って清々しい。
 護国神社へ通じる坂を淡々と上り、ロープウェイ山麓駅のある辺りまで来たところで、空模様と山腹とを見る。前日は雨天だった。雨の後は霧が出ることがある。山登りが出来るようにと支度はしてきたが、もし霧が出ていたら、徒歩で登るのは諦めねばならない。如何に三三四メートルの低い山とはいえど、侮ってはならじ──何しろ、単独行なのである。万が一にも霧に巻かれて遭難するような羽目に陥ったら、洒落にならない。
 だが、幸いにも、曇ってはいたが空は高く、山腹にも霧の出そうな感じはなかった。そこで思い切って、当初の目論見通り、歩いて旧登山道(昭和二十一年から二十九年にかけて作られた)を登ることに決めた。
 
 作品中で登場人物達が歩く山の自然を、少しでも肌で知りたい。
 そして、体を使って登ったその頂から見下ろせる景色を、全身で感じ取りたい。
 
 その思いだけで、衝動的にやってきた函館山。
 得たものは、とても大きい。
 実際に来てみなければ、歩いて登ってみなければわからなかったこと、想像も出来なかったようなことが、沢山あった。
 梢を渡る風の音、頭上を飛び交う鳥達の声と不思議な羽音、足裏に響く土の感触、昼の闇の暗さ、不意に開ける天の明るさ……
 ……いや、申し訳ないけれど、此処で言葉にしてしまうのは、勿体ない。
 全てが作品の中に生かせるかどうかはわからないが、此処での体験は、作品の方で形にしたい。
 我儘をお許しあれ。
 
 頂上の展望台でしばしの時を過ごし、来た道を再び徒歩で下山した時には、時計の針は既に一六時を指していた。
 函館駅まで歩いて戻ってきたところで、大体一六時二五分頃。
 帰りの列車の時間は一八時三二分。余裕があれば五稜郭にも行きたいと考えていたが、行って壁にタッチして帰ってくるというのならともかく、公園内やタワーを見学するにはちょいと中途半端な時間だ。……いえね、どうせ行くなら、土方さんが最後に出撃した道を逆に辿りながら歩いていきたかったの。でも、駅からバス(または市電)&徒歩で二十分以上かかるなんて場所だもんなあ……
 さりとて、そのまま駅でぼーっとするには、余りに長過ぎる。
 そう思いながら、ひとまず帰りの御挨拶の為にと、再び、最初に赴いた“土方歳三最期の地碑”前へ。運動会は終わっていて、今は、小学生と思しき別の子供達が元気に遊んでいる。なのに、とても静かだ。碑の周りには、誰もいない。
 それを見た時、私は決めた。
 そうだ。
 残された滞在時間は、此処で過ごそう。
 
 今日は、本当に素晴らしい一日と、暑くもなく寒過ぎもしない好い天気を、有難うございました。
 ……で、あともうちょっとだけ、此処にいさせてください。
 邪魔は致しませんから……。
 深く頭を下げ、一日のお礼と今暫くの滞在のお願いを述べた私は、しゃがみ込んで両手を合わせた後、最初に来た時にも座った傍らのベンチに腰を下ろした。
 既に、祠の中のお線香の火は消され、碑の前に置かれていた小さなノートも片付けられている。
 きっと、火の管理をしている方がおいでなのだろうな……。
 そんなことを思いつつ自分のノートを開いたところへ、おおっと来客、どやどやと中年男女六、七名のグループが現われた。ま、まあいいや。別に疚しいことをしてるわけではなし、席を立って逃げ出すこともないわ……
 でもやっぱり恥ずかしいのでノートを開いて目を伏せた私、嫌でも聞こえてくる皆々様の話し声に、聞くともなしに耳を傾けた。
 ……どうも、祠の中のお写真を見て、色々言っているようだ。
「ジャニーズ系の顔だねー」 これは女性の声。……そ……そーゆー表現はちょっと勘弁してー[#ひとつ汗たらりマーク]
「これ、本物かな?」 これは男性。本物だってば[#ひとつ汗たらりマーク] 修正入ってる奴だけどな(笑)。
「本物だよ。この写真も、最初は大きかったのが、置いても置いても女の子が盗《と》っていくんで、段々小さくなって、今じゃビスで留《と》めてあるんだよ。原板が残ってるから、幾らでも複製出来るから」 これは別の男性。……ほほお。初耳。ありそーなことじゃが、ほんまならけしからんこっちゃ[#ふたつ汗たらりマーク] ほいじゃけどが、よう知っとってじゃのう、おじさん。原板が残っとるっちゅーのは間違いじゃけど(笑)、もしかして、結構、通
「でも、ほんと、男前だねェー」 さっきとは別の女性の声。ふふっ、そーだろそーだろ(笑)。
「そりゃそうだよ。ロシア人との混血だから。だから、小さい頃は苛められてたんだ」
 ──お、おいっ!?
 そ、その声はさっきのおじさん!?
 こらこらこらーっ[#三つ汗飛散マーク] 勝手に何つーことをーっっ[#三つ汗飛散マーク] ノートで顔を隠して、必死に笑いをこらえる私。おいおい、おっさーん[#ひとつ汗たらりマーク] よーもまー、そがぁな大ボラを吹いてくれるもんじゃのォ〜[#ふたつ汗たらりマーク] こりゃー、さっきの話も無茶苦茶怪しいでー[#ふたつ汗たらりマーク]
 「ふーん」「へーえ」などと納得したように去ってゆく一団を見送りつつ、「違う違う違ーうっっ!」と小声で喚いていた私であった。
 いや〜、有難う土方さん、滅多に行き会えないあーゆー面白過ぎる人達に会わせてくれて(笑)。
 
 それから暫くノートに書き物(これ[#「これ」に傍点]の草稿書き)をしていると、今度は、多分私より随分若いであろう娘さんふたりがやってきた。
 言葉少なに案内板の前で声を交わした後、少しおずおずと碑の前へ上ってきて、ふたり並んでそっと両手を合わせる。おお、これぞ由緒正しき(笑)、慎ましきファンの姿! 朝といい先刻といい、少ーしミョーな人々しか見ていなかったものだから、ひどく新鮮に映る。余り嬉しくなったんで、お互いひとりずつ写真を撮り合おうとしていた彼女達にお節介にも声をかけ、ふたり並んでの写真を撮ってさしあげた。旨く写っていると良いのだが……ちょっと不安……。
 自分達でも写真を撮り合った後、去り際に再度「有難うございました」と頭を下げていった彼女達の礼儀正しさに、またも私は、善き同好の士(だろうな)に引き合わせてくれた土方さんに、心中感謝の言葉を呟いたのであった。
 
 いつの間にか、辺りは火点し頃になっていた。
 何気なく空を見上げると、雲の間から、紛れもない青空が覗いている。
 今日一日、殆どずっと見えなかった、青空が。
 最後の最後に貰った贈物のようで、嬉しかった。
 ノートを仕舞い、腰を上げる。
 一九九九年九月二十一日、一七時五三分。
 最後に今一度碑の前に立ち、今日一日の幸運に対し重ねてのお礼を述べ、拙作(この場合『まなざし』の方の)完結の決意を口にし、それから、ちょっぴりのお願いを残す。
 ……今度来る時には、もうちょっと綺麗に晴れた函館も見せてくださいね。
 
 そして、駅へ。
 二、三分遅れで函館駅を出た快速“海峡12号”は、一路青森へと、今度は約二時間半の道程《みちのり》を走り始める。
 私もまた、この一日の感動が薄れない内にと、ノートを広げてシャーペンを走らせ始める。
 どのくらい書き続けてか──。
 
 五稜郭駅と木古内駅の間、何処《いずこ》とも知れぬ辺りで、書く手を止めてふと振り返ると、見ることなど期待もしていなかった“百万ドルの夜景”が、窓の外遠く、きらきらとまたたいていた。



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