ノールの町を脱出して十日以上、サラ=フィンクとミルシェは、降雪に伴う足許の悪さに行き悩んでいた。
 何処の町にも立ち寄れない、街道も迂闊に歩けない、という行程は、予想以上に厳しいものであった。
 特に、冬の真っ只中に於いては……
 ノールでは、到着して間なしに騒動に巻き込まれたこともあり、旅行用の糧食を補充出来ないまま町を離れざるを得なかった。無論、出来るだけ節約しながら歩いているとはいえ、自ずと限界がある。ミルシェは音を上げないが、それが本当に平気であるからだとは、サラ=フィンクは思っていなかった。過去にも、高熱を発しているのに弱音ひとつ吐かずに自分に付いて歩こうとした娘である。口に出さないからといって、疲労が蓄積しているのを見過ごしてはならない。
(とにかく、レムランドの領内を抜けてしまえば、状況は改善される筈だ……町にも立ち寄れるようになる)
 どんなに楽観的に見ても、ミルシェことミルシリア・エル・カーリーが自国レムランド領内に居ることが判明した以上、レムランド側は追っ手を掛けているだろう。人々の町への出入りにも、より一層目を光らせているに違いない。だが、レムランドの兵は、レムランドの外まで追ってくることは出来ない。
 とは言え、街道を完全に離れてレムランド領内を北に抜けてしまうのは、余りにも危険が大きい。レムランド王国の北側に広がる“大湿原”は、冬でも表面が凍ることがないと言われる深い沼が多数存在し、道を失えば容易く死に直結する広大な湿地帯である。旅慣れた者でさえも、否、逆に、旅慣れた者ならば絶対に、足を踏み入れるのを避ける土地である。
 となれば、多少危険でも、街道から離れ過ぎない土地を辿って東へと抜けるしかない。
(……何処かに、こいつが何日か身を潜めていられるような場所があれば、カンダスの町に立ち寄って、短期間で済みそうな依頼仕事をこなして、糧食も確保してくるんだが……)
 大きな都市の方が、一旦り込めれば、身を埋没させ易い。役人が固めている町の門さえ潜り抜けることが出来れば良いのだが……。
「あたしが変装したら、入れるかしら。あたし、昔、結構お忍びで町に出てたわ」
 急にそんなことを言われ、サラ=フィンクは驚いてミルシェを顧みた。
「どうした、いきなり」
「え? サラ=フィンク、今、言ったじゃない。町の門さえ潜り抜けることが出来ればいいんだが、って」
 知らぬ間に、思考が独り言として口に出てしまっていたらしい。サラ=フィンクは赤面したが、変装、という言葉に考え込んだ。
(……そうか、魔法を使うという策《て》があるか。宮廷魔道士隊が固めていたら危険だが、門の衛兵や役人程度の相手なら、遣り過ごせるかもしれん)
 自分の使える魔道《ソーサラーマジック》の中には、“変装”や“変身”の呪文がある。“変装”の方は幻覚系の魔法で、幻覚の通じない相手の目は誤魔化すことが出来ないが、より高度な“変身”の方なら肉体そのものを変化させてしまうので、魔力を感知出来る相手でなければ怪しむことも難しくなる。勿論、自分ではなく他者を変身させるとなると更に高度な技であるが、とうに修得済だから問題はない。
(こいつに同行している俺の情報が何処までレムランド側に掴まれているかが鍵だな……)
 彼《か》の“魔剣士”サラ=フィンクの名前や容貌は、旧ケルリ王国以外では存外に知られていないようである。周辺の国々にとっては、所詮は他国で起きた災厄に過ぎず、自国へ流れ込んでくることがなかったからだろう。
(俺が高レベルの魔道士《ソーサラー》だということが末端の衛兵にまで周知されてさえいなければ、疑われる可能性も少ない。……賭けてみるか)
 何れにしても、糧食の補給はしておきたいところだ。堂々と町に入れるなら、それに越したことはない。
「……姿を変える魔法を掛けても構わないか」
「あたしに?」
 ミルシェは、円らな草色の瞳を更に円くする。
「それ、ちゃんと元に戻れる?」
「解かれない限りは解けない、解かれれば元に戻る、そういう魔法だ」
「自分じゃ解けないの?」
「自分に掛けられた魔法を解けるだけの力を持つ魔道士なら別だが、そうでなければ無理だ」
「じゃあ、魔法で変な姿にされたら悲惨ね。あ、でも、うんと綺麗にしてくださいだとか望みの体型にしてくださいだとかお願いしたら、出来ちゃうのかしら。それだったら、ずっと掛けてもらったままでもいいって思う人は居るわね」
 至極もっともな感想にサラ=フィンクは思わず苦笑したが、「そう巧くは行かないぞ」と釘を刺すことは忘れなかった。
「本人の立居振舞や物の言い方、性格までが変わるわけじゃない。単に姿形が変わるだけだ。だから、場合によっては魔力を感知出来なくても見破れる。例えば、手足のすらりとした美女なのに、腕の動かし方や歩き方がどう見てもむさ[#「むさ」に傍点]苦しい男のものだとかな。……無難なのは、髪と瞳の色を変えて、用心の為に顔立ちを少しだけ変えておくぐらいだろう」

 カンダスほどの大きな都市となれば、“冒険者の店《アドベンチャラーズ・イン》”と呼ばれる宿泊施設飲食店は、軽く二十件以上は存在している。
 女戦士マーサ・アーデルは、その中のひとつである“ガーゴイルの止まり木亭”に何となく足を踏み入れた丁度その日に、急遽戦士《ファイター》が足りなくなったという少壮男性四人のパーティーに加わって、既にひと仕事こなしていた。
「マーサのおかげで助かったよ。カールが急に居なくなって、途方に暮れたから」
 成功に終わった仕事の報酬を山分けして後、夕食を囲みながらの席で、パーティー中一番年長の神官《プリースト》がしみじみとした表情で言った。他の三人もそれぞれに頷く。
「カールも大した奴だったが、驚いたな、食人鬼《オーガー》にも怯まず、一撃ばっさり両断だったしな」
「探しているとかいう相手が見付かるまでは、一緒にやってくださいよ」
「そのつもりだ」
 マーサは短く応じた。一度冒険を共にすれば、各人の力量も性格も大体わかる。結成して五年目だというこのパーティーは、戦士である自分を除けば、魔歌《スペルフルソング》も歌える天空神オーファの神官・盗賊《シーヴズ》ギルド所属のハーフキトゥン・魔道学院に通う魔道士・野歩きの技能に長けたハーフエルフの精霊使い《エレメンタリスト》と、割合にバランスの取れた構成であるし、各人の技能も低くはない。その素行にも眉を顰めるほどの難まではなく、彼女に対しても女だからと特別扱い或いは馬鹿にする風がない。戦士であり女性であるマーサにとって、なかなか悪くない面々であった。
「しかしまさか、カールの奴が真っ先に冒険者稼業から足を洗うとは予想外だったなあ……あれだけ生き生きと愉しそうだったのに」
「跡継ぎにされちまったら仕方ねえだろ」
 彼らの話を聞く限り、従前そのパーティーに居た戦士は、レムランドのさる貴族の庶子だったらしい。当主の正妻から疎まれる日々に嫌気が差して家出し、冒険者の仲間入りをしていたのだが、家督を間もなく継ぐ予定だった嫡子が事故死してしまったことで捜索の手が伸び、殆ど強引に実家に連れ戻されてしまったのだという。
「……それにしても微妙に憑いてねえぜ」
 猫目のハーフキトゥンが、大きな溜め息をつく。
「カールの奴の穴が埋まってやれやれと思ったら、今度はマティアの奴が魔道師《マスターソーサラー》の資格試験で明日から十日間も学院に缶詰になると来た。折角、ハイラスの遺跡で未盗掘らしき奴が見付かったって情報をギルドで買ってきたってのに……情報量の払い損だぜ」
「御免っ、本当にっ」
 三十手前ながら十代でも通用しそうな童顔の魔道士が、卓上に両手を突いて頭を擦り付ける。
「だけど今回は五回目だから不合格だと学院に居られなくなるんで、何が何でも受からないと駄目なんでっ」
「ああ、いいよいいよ、初級魔道師の資格が取れたら皆に何か奢れよ。……しかし勿体ねえなあ、絶対他の奴にも売ってるからな、あの情報」
「では早い者勝ちということですか……」
「うーん、魔道士抜きでも何とかならないか?」
「いや、あそこは魔道の“魔法錠解錠”が使える奴が居ないとどうにもならんそうだ……だから情報になってるんだ。盗賊《シーフ》だけで破れる遺跡なら、とっくに探索の手が入ってるぜ」
「残念だが仕方ないな……」
「流石に魔道士は、おいそれとは見付かりませんし……」
「まあ、そこは気持ちを切り替えて、マティアが居ない間は魔道士が居なくても何とかなる仕事を探すか、いっそ、のんびり休もう」
 黙って彼らの話を聞きながら酒杯を傾けていたマーサは、ふと、店の入口に視線を向けた。身に纏う服もマントも黒ずくめと見える男がひとり、静かな足取りで入ってくる。既に窓の外では日が沈んでおり、明るくはない店内では容姿までは判然としないものの、マーサと同じ二十代前半ぐらいだろうか。……黒いマントの裾から、鐺《こじり》らしきものが覗く。戦士にしては細身とも思えるシルエットだが、剣を持ち慣れていない初心者感は、一瞥した限りでは窺えない。
 だが、マーサは眉を顰めていた。
(……何かが……違う)
 何が違うのか、咄嗟には言葉に出来ないが、とにかく、何かが違う。
 そのまま視線だけを動かして追うと、その黒ずくめの青年は、彼女たちが陣取る円卓から程近いカウンターへと歩み寄り、酒か摘まみかを注文がてら、店の親仁へ何事か尋ねたようだった。低められているのか余り大きな声ではなく、マーサの耳には届かない。だが、答えた親仁のやや高い声は、辛うじて耳に入った。
「勿体ない、魔道も使えるんだったら、古代遺跡絡みの仕事の方が断然実入りがいいんだがな。どのくらいの技を使えるんだ?」
 青年の答は全く聞こえなかったが、「なに、そんな技が使えるのか! 若いのに大したもんだな」という親仁の反応から判断する限り、見た目の若さの割に上級の技を使えるらしい。
 マーサは立ち上がり、つかつかとカウンターに歩み寄った。
「脇から失礼。あなたは魔道士なのか」
 青年は、僅かに胡散臭そうな目で、声を掛けてきたマーサを見遣った。……黒髪に縁取られた顔は比較的端整だが、切れ長の目の奥に潜む黒い瞳は何処か鋭い。カウンターの上に軽く置かれた右手の薬指には、蛋白石《オパール》らしき半透明の宝石が嵌まった銀の指輪。服装に合った装身具とも思えないから、魔道の呪文を唱える際にその発動を助ける魔道媒体《ソーサリーディヴァイス》であろうか。
「……そのつもりだが」
 いきなり話し掛けられて警戒したのだろう青年の答は短く、声も低い。だが、不思議に、くぐもった陰気さは窺えなかった。マーサは「そうか」と頷くと、相手の目を直視した。
「仕事を探しているなら、私たちと組んでくれないか」
「……悪いが、旅の途中だ。長期間拘束されるわけには行かない」
「それなら尚更都合が好い」
 マーサは軽く笑ってみせた。
「私たちの仲間の魔道士が、明日から十日間、学院に閉じ籠もらねばならなくなったのだ。丁度、未盗掘の古代遺跡が見付かったという情報が入ったのに、だ。あなたが魔法の鍵を開けられる技量を持っているなら、今回組んでくれるだけで充分有難い」
 “未盗掘の古代遺跡”に挑戦出来るという話は、大抵の冒険者にとっては魅力的な筈だ。そう思って発した言葉は、だが、青年には余り嬉しい申し出ではなかったらしい。あからさまに嫌そうな顔になり、
「……悪いが遺跡絡みの仕事は好きじゃない」
 ぼそりと拒絶の言葉を返してきた。
「そんな贅沢を言ってる場合じゃないだろう、お若いの」
 店の親仁が呆れたように口を挟む。
「お前さんが希望してる、単身で出来る短期間の仕事なんて、報酬は高が知れてる。お前さんは運がいいぞ。彼らはな、この店では一番の稼ぎ頭なんだ。そちらの女戦士さんだって、先日彼らに加わったばかりだが、結構な腕前らしい。お前さんの力量におんぶに抱っこってことにはなるまい。悪くない誘いだぞ」
「……いや、戦えるのは俺ひとりで……置いて歩けない連れが居て、そいつが剣も魔法も使えなくて足を引っ張ることになるから、誰かと一緒だと逆に迷惑を掛けてしまうんだ。だから遠慮したい」
 青年は、渋々といった口調で自分の事情を打ち明ける。
「置いて歩けねえって、置いて歩いてるじゃねえか、今」
 いつの間にか聞き耳を立てていたらしいハーフキトゥンの盗賊が、椅子の背凭れを前に抱えるようにしながら、半笑いで混ぜっ返す。
「そいつは宿で待たせてるんだ。仕事を見付けたら、仕事先には連れていく」
 ごく僅かにムッとした様子で応じる青年に、今度は童顔の魔道士が「あのう」と声を掛けた。
「出来ればお願い出来ませんか? 自分で言うのも何ですけど、私はこの中で一番の役立たずでして、いつも皆の足を引っ張りまくってます。ですから、みんな、足手纏いなら守り慣れてるんですよ」
「違いない」
 悪意とは程遠い笑いが、パーティーの面々から湧く。
「君が使える魔道の呪文は、強いのだと、どのくらいのものだい?」
 オーファの神官の問い掛けは無躾なようだが、冒険者としては当然の問だ。青年もそこは承知しているのか、やや顔を蹙めはしたが、比較的素直に口を開いた。
「少し前に“魔召喚”をマスターした」
 それが一体どれほどの技なのか、マーサを始め他の殆どの者には皆目ピンと来なかったが、
「――ンま魔召喚ーんンッ!?」
 童顔の魔道士が上げた素っ頓狂な悲鳴で、何となく“とんでもなく凄いらしい”という雰囲気だけは理解することが出来た。
「ちょ、ちょっと待って……な、何でそんな上級魔道師クラスの人が冒険者の店で仕事なんか探してるんですか……いや、詮索はしませんけど、そこまで来たら後進の指導に当たってほしいですよ……」
「俺は魔道師じゃないし、なるつもりもない。単なる旅の魔道士でいたい」
 かなり動転した風情で呟く魔道士に向け、青年は不機嫌そうに応じた。
「その割に剣なんか持ってるじゃねえか、美男子さん。飾りじゃねえんだろ?」
 目敏い盗賊が再び混ぜ返す。……彼がそんな風に、少しだけ相手の癇に障るような会話を仕掛けながら相手から情報を引き出してゆくのだ、ということを、既に一度一緒に仕事をこなしたマーサは理解している。マーサ自身も、最初は彼の“軽いからかい”に引っ掛かって自分の身の上を些少してしまうことになったが、それが相手の手だと気付いてからは躱せるようになった。
「……抜きたくはないが使うこともある。それだけだ」
 青年の答は、奇妙に苦い風合を帯びて響いた。先刻とは異なり、ムッとした様子はない。
「どうして、遺跡絡みの仕事が嫌いなんですか」
 それまで黙っていたハーフエルフの精霊使いが、初めて問を発する。青年は少し迷うような表情を過らせたが、
「……荒らすような気がして嫌だからだ」
 とだけ答えた。
「荒らす……ですか?」
 童顔の魔道士が困惑したような表情でかぶりを振る。
「所有者が居なくなって久しい古代の財宝を手に入れることは、盗みを悪とするあの財神ハーザでさえ咎め立てしない行為なんですけどね……まあ、個人の感覚にとやかく言うつもりまではないですけど……」
「しかし、何度も言うが、お若いの、短期間で単身で出来て実入りのいい仕事なんて、そうそう転がってはおらんぞ」
 店の親仁が再度口を挟む。
「遺跡探索を仕事の選択肢から排除してしまえば尚更だ。……いやまあ、今迄ひとりでやってきたんなら、そんなことは百も承知だとは思うが」
「わかってる。……明日の朝まで考えさせてくれ」
 青年は、やや渋い顔で言った。
「引き受けるにしろ断わるにしろ、明日の朝、また来る」
「いい返事を待ってる。何れにせよ君の旅にオーファの加護があるように。オール・オーファ・リン・ハール」
 天空神の神官が、旅の安全を祈る神聖語《ホーリィプレイ》を口にして微笑む。歩き出しかけていた青年は小さく肩を竦め、何事か呟いた。神官は意表を衝かれたような表情になり、一瞬呼び止めたそうな仕草を見せたが、青年は振り返りもせず足早に店の外へ出ていった。
「……驚いたな。答が神聖語《ホーリィプレイ》だったよ、知識神《ナファール》の」
「えっ、じゃあ……高レベルの魔道士で、その上に神官? あんなに若そうに見えるのに?」
「魔道士がナファールの魔法も少し使えるって話なら有り得るだろう。そもそもが知恵と知識を司る神だし……」
「――ナイク、頼みがある。あの男を尾《つ》けてほしい」
 マーサの突然の依頼に、盗賊ナイクは首をかしげた。
「そりゃまた急にどうして」
「あの男……前に何処かで……私が以前に住んでいた国で、会ったことがあるような気がする。だけど思い出せなくて、妙に気になる。泊まってる宿を突き止められないか。……ただ、明日また来ると言ってるから、無理に聞き込みして探す必要まではないが」
「仲間の誼《よしみ》で、エール一杯、お前の奢りってことなら手を打つぜ」
「巧く突き止めてくれたら三杯奢る」
「お、話がわかるね」
 ナイクは金色の猫目を細めて笑うと、素早く席を立った。
 足音もさせずに滑り出てゆくその背中を見送りながら、マーサは半ば独りごつ。
「……名前を訊いておけば良かったな」
「仲間になるかどうかも決まっていない段階で名乗り合うのは、余り得策とは思えません」
 精霊使いが苦笑いを浮かべる。
「ただ、断わるにしても明日また此処へ来て断わる、と言ってくれたことには誠実さを感じます。あくまで僕の印象ですが、虚言はしそうにない」
「……そう願いたいものだ」
 マーサ・デル・アーデルは低く呟いた。

 冒険者の店を出て間なしに、サラ=フィンクは、尾行者の存在に気付いた。
(……さっきのハーフキトゥンか?)
 何故、尾行されねばならないのか。明日改めてあの店を訪ねると言い置いた以上、強いて自分の宿を知っておく必要まではない筈だが。
(とは言え……逆に問い詰めるのも剣呑だな)
 今は正直、騒動も面倒も避けておきたい。自分が戻る先は、幾ら外見を変えてあるとは言え、この国でも賞金首となっているミルシェが滞在している場所なのだ。そう考えた彼は、何げない足取りで人通りのない路地に入ると同時に物陰に身を潜め、即座に念術《サイキックマジック》の“瞬移”を発動させた。念術を使えば疲労度は大きくなるが、魔道の“瞬間移動”だと、呪文詠唱の時間が必要な分、尾行者に邪魔されてしまう可能性がある。
 身を移した三階建ての建物の屋上からそっと顔を覗かせ、路地を見下ろす。
 追ってきたハーフキトゥンは、路地に入った所で戸惑ったように足を止めたが、すぐに猛然と路地の奥へ走り出した。途中で脇に抜ける道はない。別の少し広い通りに出た所で左右を素早く見るも、当然、求める相手の姿があろう筈がない。
 悔しげな仕草を見せて戻ってくる相手に見付からないよう、サラ=フィンクは顔を引っ込めた。確かあのハーフキトゥンは猫耳ではなく猫目だった。ならば当然、この薄暗い中でも夜目が利く筈だ。うっすらと雪が積もっている街路をよくよく見れば、足跡が或る場所で途絶えていることは簡単に知れてしまう。呑気に顔など覗かせ続けていては、気付かれてしまうおそれがある。
 ハーフキトゥンの盗賊が路地を去り、充分に時間が経ってから、サラ=フィンクは街路に戻った。

「――でも、その遺跡探索って、魔道士が居ないと無理なんでしょ? その人たちが困ってるなら引き受けてもいいと思うけど」
 宿に戻ったサラ=フィンクから「断わってもいいと思うが、お前はどうしたい」と問われたミルシェの言葉は、至極あっけらかんとしていた。
「ただ、あたしが付いていっても、あんまり役に立てないと思うわ。トラムに貰った魔歌の本も、まだ殆ど読めてないから一曲も歌えないし」
「そこは気に病まなくていい。剣も魔法も使えない連れが居るからと何となく話してある」
「それなら構わないわ。マントも冬用の毛皮の裏地付きのに買い直せたし、首巻きも追加出来たし、大丈夫」
「わかった。……諄《くど》いようだが、この国に居る間は、お前は俺の亡くなった友人の妹で、そいつの遺言で東方の縁者の許へ送り届けようとしている最中、という話にするから、そのつもりでいてくれ。お前は仮に何か俺のことを訊かれても『兄の友達、でも、どんな人かはよく知らない』でいい。『単なる護衛みたいな人』で押し通せ」
 サラ=フィンクの念押しに、ミルシェは笑った。
「単なる妹とか言っておいた方が説明が少なくて済みそうなのに」



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